違和感をもった“当たり前”に立ち向かう
ヤマダインフラテクノス株式会社の前身は、山田氏の父である外吉氏が1953年に創設した「山田ペンキ」。主に造船の塗装に携わり、その後は“鉄の街”とも呼ばれる東海市に本社を移し、旧東海製鐵の建設工事に関わる塗装工事などに参入。1960年代に「山田塗装株式会社」へと名称を変更して以降は、塗装や下地処理など高い技術が要求される原子力発電所関連の塗装も請け負った。山田氏は中学を出ると職人になることを決め、修行期間を経て父の会社に入社。その後は父の突然の“引退宣言”により20代で専務として実質的に経営を引き継ぎ、1995年には33歳で正式に社長に就任した。
「私が経営を継いだ頃から、公共事業も積極的にやっていこうと少しずつ橋の塗装に関わるようになっていました。大きな転機となったのは2004年。国が示していた橋梁塗装の基準が、従来の塗り重ねるような塗装から、古い塗膜を取り除くブラストへと変更になったのです。当社の職人の多くがそうした重防食塗装のスペシャリストだったこともあり、そこでタイミングを逃さず橋梁塗装を中心とした経営にシフトチェンジを図りました」
山田氏によると、塗り重ねる塗装から丁寧な下地処理を行うブラストに代わることで、橋のメンテナンスは従来の10年に1度から、30年に1度で済むようになるという。一方で、従来の手法がブラストに代わることで、「大量の産業廃棄物が出るという課題があった」と山田氏は話す。
「従来のサンドブラストでは、海外から輸入した大量の砂を使い、一つの橋を施行するだけで数十万トンの有毒性廃棄物が発生します。それが業界では何十年も続く慣習であり当たり前のことだったのですが、私は20年以上も前から、海外から持ち込んだ砂を日本で大量のゴミとして廃棄することに大きな違和感がありました。そこで、造船工場などで採用されている工法からヒントを得て、スチールグリッドと呼ばれる小さな鉄球のようなものを使って研磨する、循環式のブラスト装置の開発を始めたのです」
構想から約10年を経て、山田氏が開発したブラスト装置を使った「循環式ブラスト工法」では、廃棄物となるのは剥がした塗装カスのみ。産業廃棄物の量は40分の1から50分の1にまで削減できる。まさに画期的な技術革新を業界でも山田氏だけが実現できたのは、過去の固定観念にとらわれない柔軟な発想力に加え、「人生に不可能はない」という強い信念があるからだ。さらには、自身が開発した「循環式ブラスト工法」を広く業界に広めるため、あらゆる現場に対応できる機械を開発。2015年には国土交通省が活用を推進する新技術である「NETIS」の登録も果たすが、あえて機械や工法自体に関する特許は取得せず、「ゴミを減らして世界を変える」という企業精神の実現を目指し、全国に新工法を普及させる活動を続ける。