画像はイメージです。
「ウィル一択です」即答を生んだ施工の実力
住宅用太陽光パネルの市場は転換期を迎えている。かつて売電収入を後押しした固定価格買取制度(FIT)の買取価格は低下傾向にあり、近年は売電よりも、発電した電力を家庭で使う「自家消費」の価値が重視されるようになっている。さらに、電気代の高騰と災害への備えを背景として、東京都や川崎市では、一定の建築物や建築事業者を対象に太陽光発電設備の設置を促す制度が始まっており、制度面からも普及を後押しする動きが広がっている。
この成長市場で施工実績を積み重ねてきたのが、愛知県小牧市に本社を構える株式会社ウィルだ。メーカーや販売店からの委託を受け、住宅の屋根から工場・倉庫の屋上まで、太陽光パネルの設置工事を専門に請け負う。同社はパネル販売には手を出さず、施工品質で勝つ道を選んだ。
同社の強みは、取り付けまでのスピードにある。2〜3人のチームで朝9時にスタートし、午後には完了。1日に2現場を回ることも珍しくない。この速さを支えるのは、徹底した事前準備だ。屋根の形状や勾配を事前に下見し、作業の流れを頭の中で組み立ててから現場に入る。また部材をあらかじめ組み立てておき、当日すぐ取り出せるよう、トラックへの積み込み順序まで計算する。こうして生まれた「回転の速さ」は、価格競争力にも直結している。
ウィルを率いる若槻尚宏氏が掲げるモットーは「安全、安心、スピーディー」。太陽光業界に入った直後から変わらない信念だ。「お客さんが何を求めているのか、じっと見ていたんです。答えはとてもシンプルで、『買ったものは早くつけたい』という気持ちでした。安全が一番で、早いに越したことはない。だから、そこにずっと集中してきました」
もちろん、スピードのために安全を犠牲にすることはない。屋根の勾配が急で足場が不十分であれば、迷わず作業中止の判断をする。「高所作業で、何かあってからでは遅すぎますから」。安全・価格・速さの三拍子がそろった施工は口コミで広がった。あるメーカー担当者は、販売店から施工会社を尋ねられた際、「ウィル一択です」と即答したという。コツコツと積み上げた信用が、次の仕事を連れてくる。その原点は、若槻氏の歩んできた道にある。
自宅の駐車場から東海全域へ、紹介の好循環
最初の現場は、屋根ではなく躯体だった。友人の紹介で建設業に入った若き若槻氏は、ビルやマンションの躯体工事を担う鉄筋工として汗を流していた。真夏の炎天下でも真冬の厳寒でも、数十キロの鉄筋を肩に担いで昇り降りする体力勝負の世界。だが若槻氏は当時を振り返って「あまり真面目ではなかった」と笑う。朝早く起きられず、何度も遅刻する。そんな、どこにでもいる19歳は、結婚して別人になった。「『家族を守る』という責任感が強く湧いてきたんです。仕事に対する意識がまるで変わりました」
23歳で独立し、地元の仲間6人とともに現場を回し始める。小さな仕事から引き受け、難しい仕事も断らず、信用を一つずつ積み上げていく。仕事は途切れなくなり、仲間も増えた。若いチームは勢いに乗っていた。
しかし、20代の終わりに差しかかったある日、ふと隣を見ると、老いた職人がよろよろと鉄筋を担いでいた。直感が走った。今は体が動く。だが数十年後も同じことをしていられるのか? ちょうどその頃、先輩から太陽光発電事業への誘いを受ける。「何をやるにしても、遅いっていうことは絶対にないぞ」。1週間後、建設業を離れる決断を固めた。
先輩の会社で半年間、現場と事務の両方を叩き込まれた。作業工程を写真に収めてはメモし、帰宅後に復習を重ねる日々。電話対応から見積もり作成、顧客との折衝まで、施工以外の業務も吸収した。そして2014年、仲間3人でウィルを設立する。自宅の駐車場にパネルを保管するところからのスタートだったが、期待に応え続けるうちに、紹介が紹介を呼ぶ好循環が回り始める。2018年に法人化を果たし、愛知県内から東海エリア全域へ施工範囲を広げていった。
組織づくりで若槻氏が重視するのは、社員の暮らしだ。現場仕事では珍しく、日曜日を完全休日とし、家族との時間を確保できるようにしている。施工品質を維持するには、体力と集中力が不可欠だ。十分な休息こそ、長く働き続ける土台になると若槻氏は考えている。週に一度のミーティングでは仕事の段取りに加え、プライベートの話題も自然と飛び交う。一方、異業種交流会にはなじめなかった。
「探り合いの会話がすごく苦手で。上辺だけの付き合いは好きじゃないんです」
家族、地元の仲間、社員。気心の知れた人間と本気で向き合うことで力を発揮する若槻氏。その輪がそのまま、会社の骨格になっている。
見据える先は明確だ。「太陽光ならウィル」の認知を全国に広げること。蓄電池市場の拡大も追い風に、施工領域をさらに広げる構えだ。専門性で勝負する方針を貫きながら、メーカーの説明会に足を運んでは新たな接点を広げている。いずれ次の世代に会社を託したいと語る若槻氏だが、そこに至る道に甘さはない。
「自分が言ったことは絶対やる。妥協するんじゃなくて、100%以上のことをやる」
若槻氏の歩みは、信じた人と本気で向き合うことで切り拓かれてきた。そのまっすぐな連鎖が、日本の屋根にエネルギーの自立を届けている。