寝る間も惜しんで取り組むのが仕事だった。
大阪に本社を構え、現在は東京と名古屋に支社を出しているウィルモ。2006年に時田氏がそれまで勤めていたシステム会社から独立し、新たに設立した会社だ。ITやシステムのコンサルティングに始まり、システムの開発・構築・保守、ソフトウェアの開発、システムエンジニアをはじめとした人材のアウトソーシングまで、システムに関するさまざまな業務を行っている。
「前職では本部長まで昇進し、次は取締役になるしかない状況でした。だったら一から自分で会社を立ち上げて挑戦しようと思ったのです。取引先も何もない状態からのスタート。エンドユーザーから直接仕事を受注すると、現金が入ってくるのは9カ月後になってしまうので、営業先は入金するまでの期間が短いベンダーに絞りました。何百社ものベンダーを調べ上げ、片っ端から電話をかけても最初はアポイントさえ取れない。何とかアポイントを取れて訪問できても実績がないため、仕事に対する想いだけを話して帰るような営業を続けていました」
時田氏がIT業界に飛び込んだのは21歳のとき。当時、ITやコンピュータの業界はこれからどんどん発展する可能性があり、自身に苦手意識があったからこそ挑戦するつもりで門をたたいた。時代は昭和から平成に変わった頃で、昭和の経済を支えたバブルはまだ弾けていなかった。プログラムの作成を任されたが、やってもやっても仕事が終わらず、週に何日も会社に泊まるような日々。連絡手段は電話とファックスで、仕事に必要な情報を調べる方法は本しかなかった時代だった。
「今はインターネットで何でも調べることができ、検索方法がうまくなるとピンポイントで効率よく知識が手に入る。でも、本は調べているうちに他のことにも興味が広がり、さらに調べようという気になるので、今の人たちとは知識の深さや幅というものが全然違うように感じます。昔、経理関係のシステムの仕事をしたときは、経営や簿記の知識がないとシステムの設計ができないので、定時後に商工会議所で行われていた講習を受講。夜の9時に講習が終わると会社に戻り、仕事の続きをしていたものです」
その後、汎用系コンピュータやオフィスコンピュータからパソコンが主流の時代になると、システム開発は汎用系からオープン系へ変わりC言語やJavaをはじめとしたさまざまな言語が登場。さらにウェブ系の時代になると、今度はHTMLやCSSといった言語が出てきた。時田氏は時代が移り変わる度にすべての言語をマスターし、プログラムや見積もりの立て方などを一から勉強し直した。
「前の会社では、どんな仕事をするにしても新しいことはさせてほしいと言ってきました。そのうえでさせてもらっていたので、その仕事で失敗するわけにはいかない。だから必死に取り組むのが仕事でした。そうしてプログラムや設計について、寝る間も惜しんで一生懸命勉強してきたからこそ今がある。ただ、昨今の風潮は『させてもらっている』よりも『やらされている』と感じるのが主流。だからプログラムを組むまではできるが、それ以上のこと、例えばお客様との折衝交渉とか、部下の人間を上手く動かすことなど、マネジメント能力が低いのではないかと思っています」