ユーザーの“声”を製品開発に活かす
幼少期から野球に没頭し、高校時代には野球部に所属。大学進学後も「ギターを弾いたりサークル活動に熱中したり、好きなことばかりしていましたね」と話す蓼沼氏。時代はバブル景気に突入した頃。将来の進路には、当時の学生に最も人気の高かった金融関係の仕事を選んだ。
しかし、“寝る間を惜しんでガツガツ働く”といった業界の風潮に馴染めず、勤めていた会社を4年で退職。何気なく眺めていた求人広告で目に留まったのが、ケミックの営業募集だった。
「業界や会社のことを深く知らずに応募したのですが、面接の際に創業者と野球の話で盛り上がったこともあり、あっさりと名古屋支店への就職が決まりました。自社の金属加工油剤や洗浄剤を売る営業の仕事は、販売店をまわることがメイン。しかも創業者がいち早く週休二日制を導入するなど、当時から働きやすい環境がありました」
しかし、入社して2、3年目には、名古屋支店の売上が悪化。そこで改革の先頭に立ったのが蓼沼氏だった。
「どうにか結果を出そうと、販売店への丸投げをやめて直接ユーザーに会いに行くなど、それまでの殿様商売を改めて営業に没頭しました。そうした活動を続けているうちに多くのユーザーからの要望に気づくことができ、それらの声を製品の改良などに繋げていったのです」
結果、約1年で売上は大きく改善し、蓼沼氏は営業部長に昇進。その後も社内で数々の実績を積み上げ、47歳のときに社長となった。
ケミックの主力製品は、金属加工時の冷却を目的とする水溶性の切削・研削油剤。競合は多いがガリバーメーカーはおらず、「それぞれのメーカーが微妙に差別化した製品をユーザーに選んでもらう形は、ラーメン屋さんがスープの味を競うのに似ている」と蓼沼氏は説明する。
「業界で50年以上の歴史を誇る当社の場合、会社や製品への信頼から古い顧客も多く、ユーザーの業績がそのまま売上に反映されるような状況でした。当社には営業、開発、生産、品質管理という4つの部門がありますが、以前はそれぞれの部門がバラバラにお互いの仕事をしているだけ。『製品がそれなりに売れているから大きな変化はなくてもいい』という感覚が全社的にありました」
そうした状況を打破するため、社長となった蓼沼が打ち出したのが、「創って、作って、売る」という、商売の基本サイクルの徹底だ。
「そのために必要なのが、自己満足ではない製品開発。真の意味でユーザーに求められる製品を開発するには、営業が現場で聞いた生の声を開発部門に伝え、ユーザーや時代のニーズに合った製品を開発・生産し、販売する意識を全員にもたせることが重要です。私が社長に就任してからは月に1回の朝礼や研修などを行い、そうした意識づけやマインド教育を社内で根気強く行いました。時間はかかりましたがその結果として、現在はお客様に付加価値を感じてもらえる多くの製品を開発することができています」