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稲岡勲
INAOKA ISAO

稲岡勲

株式会社GGグループ 代表取締役

地域の温かい見守りや手助けがあれば、精神科訪問看護の仕事は不要になるはず。
平均在院日数が世界一多いといわれる日本の精神科病院。厚生労働省は2004年に、「入院医療中心から地域生活中心へ」の理念を掲げ、多くの精神保健医療福祉施策を行ってきた。その一翼を担うのが精神科訪問看護ステーションである。東京都狛江市で「ゆっくり」を運営する株式会社GGグループ代表取締役の稲岡勲氏は、「孤立させない、孤独にさせない」をモットーに業務に取り組んでいる。
稲岡勲
画像はイメージです。
寄り添うことで築き上げる患者との信頼関係。

主な仕事は、統合失調症をはじめとした精神疾患や発達障害をもつ患者の自宅を訪ね、困りごとや不安などに対して本人や家族と一緒に考えながら支援すること。あわせて病状の把握や観察、服薬の管理や確認なども行い、住み慣れた地域で安心して暮らせるように努める。患者と1対1で向き合い、施設名通りに”ゆっくり“時間をかけて関係性を育んでいく。

「大切なのは、理論的な会話よりプリミティブなコミュニケーション。まったりしているときや安心しているときの空気感を生み出せるように努めます。患者さんにとって大事なのは人間関係で、本当は人と人との情動を介したコミュニケーションを求めているのです。これまでに人間関係を上手く育むことができなかった方たちなので、私たちは味方であることを伝え、信頼関係を地道に育んでいきます」

患者に寄り添う姿勢を大事にしているのは、若い頃に大きな転機があったからだ。短大卒業後、地元の精神科病院に看護師として就職した稲岡氏は1年後に上京。東京都調布市にある精神科病院へ転職し、そこで精神科の名医として知られる星野弘氏と出会う。ある日、外来に来なくなった患者の様子を見るためにチームを組んで自宅へ行くと、患者が興奮して包丁を振りかざしながら大声で叫ぶのがドアの隙間から見えた。その部屋に星野氏がひとりで乗り込んでしばらくすると、仏様のような柔和な表情になった患者が星野氏と一緒に出てきて、車に乗って病院へ向かった。

「狐につままれたような感覚で、この先生は一体何をしたのだろうという不思議な体験でした。後から星野先生に聞いてみると、患者さんとちょっとした話をしただけだと言われて、衝撃を受けました。というのも当時、精神科の仕事は患者さんを管理する側面が強く、理論を勉強しても現場の状況とは乖離していたからです。星野先生の考えに触れて、初めて点と点が繋がりリンクしていきました」

稲岡勲
精神科病院のない安心できる社会を目指して。

その後、青木病院で精神科医として働いていた先輩医師が、精神科クリニックを開業するのに伴い同院へ転職。先輩医師の計らいで、東海大学で開講されていた自閉症に関する研究室にも6年間通うなど、さまざまな見識を深めていった。8年後に独立し、「ゆっくり」を開所。思い描いたのは、家族のような関係性を育むことのできる訪問看護ステーションだった。

「会社は親のようなもの。皆の生活を守らなければいけないので、スタッフには家庭事情に合わせた働き方ができるように配慮しています。決算時に黒字だと決算賞与を支給するほか、先進医療も受けられるがん保険や医療保険、休業補償、2カ所から支給される退職金や死亡保険など、福利厚生にはかなり力を入れています。スタッフを大切にしているのは、私たちの仕事は患者さんを大切にしなければいけないという想いからです。人に大切にされると、誰でも肌で感じるもの。“大切にされている感”の連鎖が広がることを目指しています」

2021年、GGグループは次のステップとして、星野氏を院長に迎え入れ、敷地内に「往診メンタルクリニック ゆっくり」を開業。訪問看護ステーションがクリニックを展開するのはチャレンジングな試みだが、精神科の権威ともいえる医師が院長に就くことは、これまでの稲岡氏の取り組みが認められたことの証だ。

「時間をかけて患者さんの話を聞くなど、星野先生と共に自分たちが理想とするクリニックにしていきたい。たくさんの薬を飲ませるのではなく、患者さんとの信頼関係を育もうとしながら治療していくのが本当の姿だと思います。過去に星野先生が、著書の中で“人間を処方する”という言葉を書かれています。若い頃は何を意味しているのかさっぱり理解できませんでしたが、今ならよくわかります」

さらに2022年の秋頃には、静岡県富士市に新たな精神科訪問看護ステーションの開所を控える。こちらは、かつて東海大学の研究室で共に学び、共に働き、稲岡氏が全幅の信頼を置くスタッフが運営する予定だ。そして、自分の目が届く範囲内で施設を増やした後は、皆が皆を大切にするという考えと共に、若い世代に引き継いでいくことも視野に入れている。

「私は秋田県で生まれ、地域の大人たちに見守られながら育ちました。日頃の仕事を通じて感じるのは、大都市にもそうした環境が必要だということ。精神科病院は日本全国にたくさんありますが、イタリアは20年以上も前に精神科病院がひとつもない国になりました。現在私たちが行っている精神科訪問看護も、地域の見守りや手助けが充実すれば不要になるでしょう。そんな社会がやって来ることを心から望んでいます」

稲岡勲

株式会社GGグループ 代表取締役
https://www.gg-g-s.com/
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。