
世界初の治療法を、夫と二人三脚で開発
新橋、銀座、汐留に囲まれた新橋駅東口近くで、2003年に眼科・形成外科・皮膚科からなる「あまきクリニック」を開業した後、2007年には医療法人社団慶緑会を設立。現在は2013年に開院した「あまきクリニック有楽町眼科」と昨年開院の「廿日市あまき眼科」を加え、3つのクリニックを経営する味木幸氏。一人ひとりの患者に合わせた白内障手術や、白目のあざを消す世界初となる治療法の開発など、日本でも有数の眼科医として活躍する味木氏は、4人の子を育てる母親でもある。
「父は広島市で内科の医院を営んでいて、母はその手伝いをしていました。両親が大変そうなのを見ていたので医師になりたいとは思いませんでしたが、いくつか受験した大学のうち唯一の医学部だった慶應義塾大学に合格したことで、これも神様がくれたチャンスなのかなと。大学の医学部を卒業して自身の専門を決める際には、手先が器用なことを活かしたくて、手術などで緻密な作業が必要になる眼科を目指すことにしたんです」
医局での下積みを経て、派遣先の病院では指導医にも恵まれながら眼科医として順調に成長した味木氏が、開業を決意したのは自らの人生がまさに激動するタイミングだった。
「長女を妊娠していたときに広島にいた父が病に倒れ、看病もあったので勤めていた病院を辞めたんです。父の死後に長女が生まれ、間もなくして母が亡くなりました。その後しばらくは長女を育てながらパートで眼科医として働いていましたが、やはり父のような開業医になりたいという思いがあった。そこで開院のために物件を探していて今の場所を見つけたのですが、手付金を払ってすぐに次女の妊娠がわかったんです」
開院の準備と出産が重なっただけでなく、当時の味木氏は学位論文や自著の執筆までを抱えていた。
「もちろん大変でしたしどれかをやめることもできた。でも、そうせずに覚悟を持って、すべてをやり切ったことが大きな自信になりました」
そんな味木氏の挑戦を常に見守りサポートしてきた夫は、優れた皮膚科医でもあり、味木氏にとっては公私にわたる頼もしいパートナー。2005年には、白目のあざ(太田母斑)に対するレーザーによる治療法を夫婦で開発し、現在までに100名を超える患者を治療してきた。
「夫は顔などのあざに悩む患者さんのコンプレックスを取り除いてあげたいという思いから、皮膚のレーザー治療を専門としていました。しかし、白目のあざだけは治療する方法がなかったんです。そこで試行錯誤しながら二人でアイデアを出し合って、最終的には緑内障の治療に使うレーザーが有効なことを発見しました。この治療法を広めたいと論文も執筆しましたが、治療の実績などもあって、今でも世界中でほぼ当院でしかできない治療になっています」