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山田英男
YAMADA HIDEO

山田英男

山田不動産株式会社 代表取締役

不動産事業や社会貢献活動を通じて、豊かな街と未来に羽ばたく人を育てたい。
大阪、兵庫、京都の一等地にグループ全体で30棟のビルを所有するほか、約40年前からハワイで倉庫業やレストラン経営を手掛けるなど、グローバルな事業展開を行う山田グループ。1964年創業の山田鉄工建設を起源とするグループの礎を一代で築き上げたのが、同グループの会長であり、山田不動産株式会社の山田英男代表取締役だ。
山田英男
画像はイメージです。
大きな逆境からスタートした経営者の道

兵庫県宝塚市で明治時代から続く材木屋に生まれ、将来は副社長として家業を継ぐことが決まっていたという山田氏。しかし高校3年生のときに材木屋が倒産、夢であった東京の大学への進学を断念し、卒業するとすぐに土木関係の職に就いた。

「当時で10億円以上あった借金を一人で返すと決め、昼の土建業と夜のアルバイトを掛けもちして、まさに寝る間も無く働きました。特に本業の方では、出始めたばかりの軽量鉄骨に目を付けて構造計算などを勉強し、大工さんにセールスして自ら基礎工事を請け負うようになった。そうした流れで山田鉄工建設を創業したのです」

山田氏が20代で立ち上げた山田鉄工建設では、見晴らしの良い傾斜地での住宅建設など、鉄骨のメリットを活かした工法も採用。建売事業で売上を大きく伸ばし、すべての借金の返済を終えた1980年には、山田不動産を設立した。

その後は大阪の「キタ」エリアを中心に不動産事業を展開。30代で北新地や茶屋町に自社ビルを所有し、当時はまだ未開発エリアだった茶屋町エリアの発展に貢献するなど、不動産事業でもその才覚を大いに発揮した。さらには幼い頃から親しんできたゴルフや30代で入った青年会議所などで得た人脈から、広大な敷地を活かした倉庫業や、神戸牛を提供するレストラン事業などをハワイでスタート。今や数件のレストランや高級コンドミニアムも構えるなど、海外事業についても、大阪や兵庫、さらには京都などの一等地を中心とする国内不動産事業を凌駕するまでに成長させた。

国内外の事業を二人の息子にそれぞれ継承させながら、84歳となった今も自ら様々な事業を手掛けるなど、逆境を乗り越えて手にした大きな成功。しかし山田氏は常々、「ビジネスの成功や稼いだ金額が人の価値ではない」と口にする。

「商売は下手だったかもしれませんが、いつも周囲の人々に対して謙虚に接していた父の姿や、『お前が儲ければその分どこかで誰かが泣いている。そのことを心に留めておきなさい』と、父が説いてくれた言葉は今も心に残っています。だから私は、土地を購入する際には他よりも高い価格で買い取るなど、目先のお金よりも人情や信頼を大切にしてきました。また、自分のビジネスが上手くいっていることだけを良しとせず、若い頃からボランティア事業にも力を入れてきたのです」

山田英男
常にもち続ける周囲への感謝と謙虚な心

90年代には、ゴルフ仲間だった元防衛大臣からカンボジア王国のフン・セン首相を紹介されたことをきっかけに、ハワイで経営するレストランでのカンボジア難民の受け入れをスタート。アンコールワットの世界文化遺産登録を前にした2001年には、同首相に請われる形で大阪茶屋町に「「カンボジア王国名誉領事館」を設立。

山田氏が名誉領事に就任し、カンボジアの文化や産業の発信に加え、カンボジアへのビザ発給も自らの手で行ってきた。また、地元の兵庫では、幼稚園から中学、高校、大学までを併設する学校法人芦屋学園の理事長も務め、未来を担う子どもたちの育成にも力を注ぐ。

さらには大阪郊外の能勢町に、真言宗単立本山 威徳山金剛寺も設立。この寺院建立の背景には、太平洋戦争当時、疎開先の山口に向かう途上の広島で、非業の死を遂げた姉への強い想いがあった。

「実は私も姉とともに疎開する予定だったのですが、高熱を出したために姉だけが疎開先に向かい、10歳で命を落としてしまいました。姉の遺体や遺品は何も残らなかったため、原爆死没者名簿にも長く記載されませんでしたが、その後には何とかわずかばかりの遺品を見つけることができました。私が生きていられるのは、もしかすると姉が身代わりになってくれたからかもしれませんし、事業で成功できたのも、姉がくれた運があったからだと思っています。そうした姉への想いとご縁に導かれ、寺院の建立を決めたのです」

山田氏がそう話す金剛寺には、姉の美智子さんの慰霊碑が立ち、現在は人々に心の安らぎを与える地域に開かれた寺院となっている。

「私自身はまだまだ男の夢を追いかけている最中です。事業にしてもボランティアにしても、常に『自分を裏切っていないか』を指標とし、死ぬときに『自分はやるべきことをやった』と思えたら本望。今後は自分たちの世代が楽しめる場所をつくることや、海外でも通用する人材の育成など、地元を中心とした幼少期からの教育事業にも力を入れていきたいと考えています」

国内外で大きな成功を収める辣腕経営者でありながら、常に謙虚な姿勢を崩さず、人との繋がりや周囲への貢献を大切にしながら歩み続ける。山田氏の半生には、書店に並ぶビジネス本には決して書かれていない、すべての経営者がもつべき矜持が詰まっている。

山田英男

山田不動産株式会社 代表取締役
https://yamadafudosan.co.jp
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。