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発展を加速させた、高付加価値事業への転換と働き方改革
「学生時代から独立心が旺盛で、家業を継ぐつもりはありませんでした」と話す谷口氏は、最初は大手食品メーカーに就職。しかし、先代の父が病に倒れたことをきっかけに、1981年に当時の太陽電線株式会社(現在の太陽ケーブルテック株式会社)に入社した。
戦後日本の経済発展を支えた電線産業は、1990年まで右肩上がりの発展を続けるも、銅電線の出荷量がピークを迎えた同年を境にトーンダウン。国内需要の冷え込みにより電線メーカーは過酷な価格競争にさらされ、生産調整や大手の撤退が相次ぐこととなった。
「社会のインフラを担う重要な産業でありながら、他の産業に比べて利益率が大きく劣るのが電線業界の課題です。当社ではそうした課題に対する問題意識を早くからもち、付加価値の高い新製品の開発や生産性の向上などに努めてきました」
谷口氏がそう話す通り、同社は国内基幹工場となる豊岡工場を立ち上げた1994年頃から、採算を重視した“高付加価値経営”へシフト。汎用ケーブルの生産比率を下げ、付加価値の高いロボットケーブルや産業用ケーブルへの傾注を進めた。
また2017年頃には、政府が提唱する“働き方改革”に先んじる形で、独自の働き方改革も推進。その際に谷口氏が全社員に向けて発したのが、「2025年までに社員の週休3日を実現する」という宣言だ。
「質の高い製品を安定的に供給し続けることはもちろん、会社としてきちんと利益を上げながら社員の週休3日を実現するため、目標として掲げたのが各部門30パーセントの生産性向上でした。当初は社内から『無謀だ』という声も聞かれましたが、とにかく挑戦してみようと。社員一人ひとりの意識改革から、工場での動線や工程の見直し、最新鋭の設備導入や自動化などを行った結果、実際に各拠点で生産性が大きく向上し、以前は当たり前だった残業も現在はほぼゼロとなっています」
現在の社員の子どもたちに、選ばれる企業を目指したい
歴史ある企業において収益構造などの抜本的な改善を成功させ、確固たる意志で社内変革を推進する。そうした姿からはワンマン経営者のイメージも浮かぶが、実際の谷口氏は「家族のような存在」と表現する社員とのコミュニケーションを何よりも重視し、働く人々の幸せやモチベーションを常に意識する経営者だ。
「残業代がゼロになる代わりにベースの給与をアップさせるなど、生産性向上で出た利益を社員に還元することはもちろん、諸手当の見直しも進めました。特に社員の子どもたちの教育を重視したいという思いから、従来から行っていた子ども手当などは大きく拡充しています」
さらに、より公平な評価制度や資格取得に対する報奨制度の導入など、社員のモチベーション向上に繋がる取り組みを推進。各工場での省力化と生産性向上を実現し、2022年度には過去最高益を達成した。
使命と考えていた後進の育成にも目処が立ち、2023年4月には息子の明廣氏が社長に就任。国内事業は新たな社長に任せ、自身は“グローバルサウス” をはじめ、海外でのさらなる販路拡大の先頭に立つ。
「当社は2023年で100周年を迎えましたが、すでにFOT(Future Opportunity Taiyo)というキャッチフレーズのもと、次の10年に向けた歩みを始めています。重視したいのは、社員一人ひとりに自社製品への自信をもってもらい、よりプライドと責任感をもって日々の仕事に取り組んでもらえるようなインナーブランディング。そのうえで電線業界の地位や当社の企業価値をより高めるために、どのような取り組みを行なっていくかをすべてのステークホルダーとともに考え、チャンスを逃さず実現していきたい。キャッチフレーズには、我々のそうした思いを込めています」
2024年で74歳となる谷口氏は、翌年の2025年に“週休3日制”の実現を見届けた後、同社の役員を退くことを公言している。
「会社の未来は次の世代に委ねますが、数十年後に今の社員の子どもたちが当社を選び、胸を踊らせて入社してくれるような会社になっていることが私の願い。もうすぐ国からは“後期高齢者”と呼ばれますが、私自身は“好機”高齢者と捉えていますし、周囲の70代に対する見方を変えるためにも、まだ少し頑張りたいと思っています」
谷口氏が実現する社員ファーストな働き方改革。より強固な基盤を得て、100年企業はさらなる進化と発展を遂げていく。