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若者離れが進む街に、新たな魅力を
「現在、すでに多くの問題が顕在化しているからこそ、スピード感のある経営が必要です。旧態依然とした体制も改めて、現在の社会情勢に合った経営スタイルに変えていかなければなりません。どのような事業であっても、社会を変える力を持っています。政治に働きかけるよりも、経営を通したアプローチの方がよりスピーディーに、かつダイナミックに社会を変えていくことができるでしょう。僕が事業を通して実現したいことは、まさにそれです。事業を通して和歌山を盛り上げるため、2020年4月に会社を引継ぎ、次世代を見据えた体制づくりに着手し始めました」
田村氏が強い危機感をもって社長の座に就くのには2つの大きな理由がある。それは和歌山県の人口減少と大手企業の進出による地元産業の衰退に他ならない。
1995年の和歌山県の人口は108万435人だったが、翌96年から24年連続で減少を続け、2019年には91万7252人となった。それに合わせて、将来の和歌山を背負って立つはずの若者の他県への流出も続く。
一方で、近年、関西圏の経済活動は好調で、コロナ禍であるものの先の見通しは明るい。2025年に「大阪・関西万博」の開催を控えているだけでなく、カジノを含むIR事業の誘地の可能性もある。和歌山は関西国際空港が近く、ある意味、玄関口の役割も果たす。コロナ禍が落ち着けば、多くのインバウンド客が再び押し寄せ、その勢いは数年先まで続くだろう。和歌山もその恩恵に預かることは間違いない。
雇用を生み、後継者難に立ち向かう戦略
しかし、チャンスの裏にはピンチもある。関西の他県に比べて開発の進んでいない和歌山に、大手デベロッパーなどが目を付けるのも時間の問題なのだ。もしそうなったら和歌山の資本が、大手デベロッパーが本社を置く首都圏に流れてしまう。それを防ぐには、和歌山の地場の企業が影響力を持つしかない。ところが、ここでさらに厄介な事実が行く手を塞ぐ。
総務省の就業構造基本調査によると、人口100人あたりで自営業者が最も多いのは和歌山県の6.99人だ。このように独立心が旺盛な反面、皆で手を取り合ってビジネスを行うスタンスがそこまで強くない。現に上場企業の数は9社で、全国30位というデータもある。大阪や京都、兵庫といった大都市が近くにあるにしては寂しい数字だ。もし大手デベロッパーが首都圏からやってきたら、対抗する地元企業がないのでなす術なく蹂躙されてしまうだろう。「とにかく時間がありません」と田村氏は話すと、課題の解決に向けたビジョンを次のように語る。
「まず若者が働きたいと思える会社が和歌山県内に少ないことが問題です。だからこそ、当社がそうした企業になりたいと考えています。しかし、設備関連業界はきつい、汚いといったイメージが先行して嫌厭されがちです。また、職人気質な人が多いため、現代の価値観に合わせることができず、若手が入ってきても定着しません。
そこで当社では教育体制をしっかりと整えたり、綺麗な本社をつくったりして、従来の業界のイメージを刷新できるように取り組んでいます。こうした成果もあり、現在、阪和総合防災の社員は20代、30代が中心です。今年、新たに3名の取締役も生まれていて、将来的には、彼らにそれぞれの事業会社の社長を任せたいと考えています。大きな夢が描ける。家族に自慢ができる。そんな会社に当社がなることで、たくさんの若手に和歌山で活躍してもらいたいたいです」
雇用があるからこそ、若者が和歌山にとどまる。若者がとどまれば、地元で家族をつくり、人口が増える。それは地元産業の発展につながり、引いては、和歌山の活性化に結び付くだろう。雇用にはそれだけの力があり、企業だからこそできる取り組みに違いない。
そうした田村氏のアプローチに賛同する人が増えており、地元を変えたいと考えるたくさんの人が同氏の周りに集う。最近では、技術力があるけれど後継者がいない事業を、若者に引き継ぐビジネスにも乗り出す。
「雇用をつくるためには、利益を上げなければなりません。今後、さらにダイナミックに和歌山を変革していくため、40歳までに年間100億円の売上を達成したいと考えています」
そう語る田村氏の瞳の先には、たくさんの若者で活気に満ちた和歌山が映っている。和歌山時代の到来は近い。