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杉浦敏之
SUGIURA TOSHIYUKI

杉浦敏之

医療法人社団弘惠会 杉浦医院 理事長

患者の死を家族が笑顔で見届けられる医療文化をつくる
埼玉県のJR川口駅前にある「杉浦医院」。2003年に同院を父から継いだ杉浦敏之理事長は、在宅医療を地域に根付かせ、地域医療の充実に貢献してきた。そんな氏が次のチャレンジとして取り組んでいるのが、アドバンス・ケア・プランニングの啓発である。
杉浦敏之
数十年かけて広げていった在宅医療の輪

杉浦医院の開院は1958年。現在はJR川口駅前の「川口駅前医療モール」に入っている同院だが、開院当時は戸建てで、自宅の1階が診療所だった。幼いころから父の仕事を間近で見ていた杉浦敏之氏はその姿に憧れ、自然と医師を志していた。大学の医学部を卒業した氏は、千葉県の救急医療センターなどで心臓外科や消化器外科の経験を積んだ後、大学院を経て大宮赤十字病院(現さいたま赤十字病院)に就職。13年間外科医として勤務し、主にがん治療に携わった。

ここで主治医として関わった患者とは最期までの付き合いとなることを学び、患者と正面から向き合うことが医師としての覚悟なのだと知ったと言う。その一方で、末期がん患者の多くが残された貴重な時間を住み慣れた自宅で過ごしたいと思っていることを感じ、やがて在宅医療について関心を抱くようになった。

氏が高齢の父から頼まれて診療所を継承したのは、ちょうどそんなときだった。「たまたま私の退職と同じタイミングで、ご本人の希望で退院した末期の食道がんの患者様がいらっしゃった。ご自宅が診療所から近かったこともあり、翌日から点滴を持って患者様の元へ通うことで訪問診療が始動しました」と杉浦氏は語る。

「当時は外来患者の数も少なく、時間を持て余していたからちょうどよかったんです」と笑う氏だが、毎日欠かさず一人で訪問診療を続けるのは大変なことだ。すると見かねた訪問看護師が声をかけてくれた。
「かつて父の診療所で働いていた方だったのですが、訪問看護ステーションのスタッフを使ってくださいと言ってくれました。なるほどそういう手があるのだなと知りました」

こうして氏は24時間体制のサポートが可能な在宅医療のシステムを少しずつ構築していった。そして外来患者が増えてクリニックの経営が軌道に乗ると、自分ひとりでの活動に限界を感じ、埼玉県南に研究会を発足し、仲間を募った。初めはメンバー十数人ほどの会だったが、訪問看護師を含む他職種にも枠を広げ、今では約200人の会にまで成長した。

この活動は、折しも厚労省が進めていた在宅医療の拡充とシンクロしていた。川口市での在宅医療システムは、その先駆け的な存在になっていたのである。
「今では地域包括ケアシステムと呼ばれて一般的になりつつありますが、国の後押しもあってある程度の形はできてきました。これからもさらに在宅医療の輪を広げていきたいですね」

杉浦敏之
死について明るく話せる社会をつくりたい

2017年に『死ねない老人』(幻冬舎)を出版し、それを機に日本尊厳死協会関東甲信越支部の理事に就任した杉浦氏。現在、在宅医療の普及と並行して積極的に取り組んでいるのは、「アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning:ACP)」の啓発だ。ACP、厚生労働省の言う「人生会議」とは、人生の終末期において、意思決定能力が低下する場合に備え、今後の医療や介護についてあらかじめ患者本人と家族、医療者が話し合っておくプロセスのこと。

「苦痛を伴う延命は、患者様本人にとってはつらい場合も多いのですが、本人に意識がないときに延命するのかしないかを家族が判断するのは至難の業。どちらを選んでも後悔してしまうものなのです。ですから、元気なうちにどうしてほしいのかをしっかり家族に伝え、できれば文書として残しておいたほうが本人にとっても家族にとってもよいのです」

そのためには、死について明るく率直に話せるのが健康的だと人々が認識することだと氏は言う。
「今は仮に本人が遺言を残そうとしても、家族から『そんな縁起の悪い話はしないで』と遮られがち。日本では1976年に自宅でなくなられる方と病院で亡くなられる方の割合が逆転し、今では8割が病院で最期を迎えています。死を目前にする機会が減ったためか、過剰に恐れるようになっているのかもしれません。しかし人である以上、誰にでも最後に死は訪れるもの。それに蓋をしてしまうのは不健康なのではないでしょうか」

そこで氏は、市民講座などを通じて啓発活動を行っている。
「また千葉県松戸市では『まちっこプロジェクト』といって、医師会のメンバーが認知症や命の大切さについて小中学校で出張授業を行っているのですが、これを川口市でも取り入れたい。一方で医師に対する啓蒙も必要です。回復の見込みのない患者に対しての治療を止めるとき、医師は『見殺し』と『見守り』の2つの考え方ができますが、日本では後者の医療文化がまったく根付いていない。大学の医療系学部での教育を通じてそれをつくっていきたいですね」

すべての患者が納得し、安心できるような適切な医療を提供すること、そしていざというときには患者が人生の終焉を満足して迎え、残される家族がそれを笑顔で見届けることができるようにすることが目標だと語る杉浦氏。氏の挑戦はこれからも続いていく。

杉浦敏之

医療法人社団弘惠会 杉浦医院 理事長
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※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。