
数十年かけて広げていった在宅医療の輪
杉浦医院の開院は1958年。現在はJR川口駅前の「川口駅前医療モール」に入っている同院だが、開院当時は戸建てで、自宅の1階が診療所だった。幼いころから父の仕事を間近で見ていた杉浦敏之氏はその姿に憧れ、自然と医師を志していた。大学の医学部を卒業した氏は、千葉県の救急医療センターなどで心臓外科や消化器外科の経験を積んだ後、大学院を経て大宮赤十字病院(現さいたま赤十字病院)に就職。13年間外科医として勤務し、主にがん治療に携わった。
ここで主治医として関わった患者とは最期までの付き合いとなることを学び、患者と正面から向き合うことが医師としての覚悟なのだと知ったと言う。その一方で、末期がん患者の多くが残された貴重な時間を住み慣れた自宅で過ごしたいと思っていることを感じ、やがて在宅医療について関心を抱くようになった。
氏が高齢の父から頼まれて診療所を継承したのは、ちょうどそんなときだった。「たまたま私の退職と同じタイミングで、ご本人の希望で退院した末期の食道がんの患者様がいらっしゃった。ご自宅が診療所から近かったこともあり、翌日から点滴を持って患者様の元へ通うことで訪問診療が始動しました」と杉浦氏は語る。
「当時は外来患者の数も少なく、時間を持て余していたからちょうどよかったんです」と笑う氏だが、毎日欠かさず一人で訪問診療を続けるのは大変なことだ。すると見かねた訪問看護師が声をかけてくれた。
「かつて父の診療所で働いていた方だったのですが、訪問看護ステーションのスタッフを使ってくださいと言ってくれました。なるほどそういう手があるのだなと知りました」
こうして氏は24時間体制のサポートが可能な在宅医療のシステムを少しずつ構築していった。そして外来患者が増えてクリニックの経営が軌道に乗ると、自分ひとりでの活動に限界を感じ、埼玉県南に研究会を発足し、仲間を募った。初めはメンバー十数人ほどの会だったが、訪問看護師を含む他職種にも枠を広げ、今では約200人の会にまで成長した。
この活動は、折しも厚労省が進めていた在宅医療の拡充とシンクロしていた。川口市での在宅医療システムは、その先駆け的な存在になっていたのである。
「今では地域包括ケアシステムと呼ばれて一般的になりつつありますが、国の後押しもあってある程度の形はできてきました。これからもさらに在宅医療の輪を広げていきたいですね」