
遺伝子分野などで最先端の研究に従事
「小学校の低学年の頃までは、ほとんど学校にも行けないほど病気ばかりしていました。検査で白血病とわかり命の危険もありましたが、病院の先生の懸命な治療のおかげで助かることができたのです。また、母親から野口英世の偉人伝をもらってボロボロになるまで読み、深く感銘を受けたこともあり、将来は自分も医療の分野などで最先端の研究をして、世界中の人々に貢献できるような発見がしたいと考えるようになりました」
高校生になってもそうした志は変わらず、大学は京都大学の医学部へと進学。しかし、当時は学生運動が全盛の時代。全学ストライキで京都大学でも授業がほとんど行われておらず、白川氏も自らが信じた正義を体現すべく、学生運動に情熱を燃やす日々を送った。
しかし、最愛の父の死と公害被害を訴える裁判への参加という、在学中に経験した2つの出来事が、当時の白川氏を大きく変えた。
「父はとんでもなく破天荒な人でしたが、私や母を色々なところに連れて行ってくれました。大好きだった父が急死し、これ以上はない悲しみを感じ、これからはどんな困難も笑って乗り越えられるだろうと強く思いました。そして公害の被害者である原告を支援する形で参加した裁判では、裁判に負けた後、原告団の方に『学生の本分である学問に励み、裁判長を納得させる力をもつ医学研究者になってくれ』と言われ、そこからは世界一の研究者を目指して猛勉強をはじめたのです」
そして医大卒業後は、工場で働く人たちの職業性肺疾患であるじん肺などが当時の社会問題になっていたことから、胸部疾患や呼吸専門の内科医として臨床の現場を経験。その後は、ともに学生運動に関わった先輩医師の「世の中を変えたいなら公衆衛生の分野に進み予防医学をやるべき」という言葉を指針に、大阪大学の研究室に移り、森本兼曩教授のもとで研究に励む日々を送った。
森本教授は、ヒト染色体DNA変異モニタリング法を樹立したことなどで知られ、生活習慣病予防の理論・実践や、遺伝子の変異や環境要因、ライフスタイル要因の健康影響など、幅広い分野で優れた実績を残す研究者。
「60万人分の6億項目にもなるデータをスーパーコンピュータで分析し、生活習慣病予防の要因を割り出すなど、当時としては最先端の研究に寝る間も惜しんで従事しました。また、21世紀は個々の遺伝要因が鍵を握る個別化医療の時代になるという森本先生の見通しもあり、いち早く遺伝子の研究にも関わり、その後はオックスフォード大学の研究室でも長く最先端の遺伝子研究を行なってきました」