1秒でも早く、1本でも多く
強い想いが生んだ救命医療の革新
富山県南西部に位置する南砺市。田園に広がる散居村や世界遺産の合掌造り集落など、美しい日本の原風景を今に伝えている。この地域で人々の健康を守り続けるのが、公立病院である南砺市民病院だ。病床数175と小規模ながら、病院専用のドクターカーの運用や、世界でもっとも厳しい基準を提示する国際医療機能評価であるJCI認証を取得するなど、革新的な取り組みを展開。その実現の源が、院長である清水幸裕氏の「道を切り拓く力」だ。
清水氏は、1982年に富山医科薬科大学(現富山大学)医学部を1期生として卒業。消化器内科医として研修を受けた後、88年に渡米。何のコネクションもないため、自らの足で研究所まで辿り着いた。数年後、清水氏に続くように大学の後輩が数名、同じ米国ピッツバーグ癌研究所に留学している。
「道をつくると言えば格好良いのですが、要は人が敷いたレールに乗るのが好きではないのです」と笑う清水氏。2度の留学を経て、2014年に南砺市民病院院長に就任する。20年には、救急車の要請と同時に病院から出動するドクターカー運用を開始した。医師や看護師がいち早く初期診断と治療を開始することで救命率の向上や後遺症の軽減が期待され、これまでの出動回数は千回以上に及ぶ。
「救急医療の原則は、1秒でも早く医療者が患者さんに接触すること。それなのに、病院で待っていてよいのかという葛藤が長年ありました。運用を開始し、手応えとして感じるのは、『ドクターが来てくれた』という現場の方の安心感。地域医療にとって、もっとも大切なことだと思います」
清水氏がドクターカーを立ち上げたきっかけは、隣の市で起きた高速道路でのバス事故により、亡くなった運転手の話だった。搬送先である総合病院の院長が、清水氏にこうつぶやいた。「現場で点滴1本打てば助けられたのに」。医療ドラマなどの影響で、救命救急には派手な処置をするイメージもあるが、現実は点滴1本が生死を分けることがある。そうした命をひとつでも多く助けたいと、清水氏は力強く語る。
構想から実現までは約1年を要し、困難も多くあった。そのひとつは、記者発表の前日に救急チームの医師が「自信がない」と言い出したことだ。
「最初は怖かったのでしょうね。ですが、実際にドクターカーが出動し始めると、皆がもっと現場に出たいと自信を覗かせるようになりました。医者の本能が目覚めたのだと思います」