受け身の人生から一転、自ら決めた道へ
「私の社会人としての礎を築いたのは、中学1年に入部した野球部での体験が大きかったように思います。そこから人生がガラッと変わりました」
佐山氏は中学時代、朝から晩まで野球漬けの日々を送った。そんななか、いつも監督に言われていたのは「とにかく挨拶を大切にしろ。時間を守れ。高3の夏まで野球を続けろ。必ず社会に出たら役に立つから」という様々な教えだったという。
「当時は何の役に立つのかと思っていましたが、今日の私があるのは野球をやっていたおかげ」と佐山氏が言う通り、図らずもスポーツに励む日々のなかで自身の人間性に磨きをかけていった。
その後、建築家を目指して京大を受験したものの、希望の学科には受からず工学部高分子化学科に合格。思わぬ形で自分の思いとはまったく違う道へ進むこととなり、卒業後の進路は当時の担任から勧められた企業へ入社するに至った。
「実に受け身の人生だった」と佐山氏は振り返る。
「私は野球から多くのことを学んできました。しかし野球はチームスポーツであり、監督や先輩から指示されたことを忠実にこなすのが当たり前。その習慣が身についているので、まさに私は上司の命令に従うサラリーマン気質の人間だったのではないでしょうか」
そんななか、大学卒業後に入社した化学大手の帝人では、チームとして一緒に働く楽しさややりがいを感じていく。忠実な仕事ぶりは周囲からも大きな信頼を集め、工場の自動化や増設、新製品の開発など、多くの業務を任されていくようになった。
しかし30歳になった頃から、佐山氏の中にある心境の変化が生まれ始める。「サラリーマンのベストケースは社長になることですが、決して優秀だから、実績を挙げたからといってなれるものではない」ということに改めて気付かされたのだという。そこに一種の危機感を覚えた佐山氏は、人生において初めて、自らの道を自ら決めていくと覚悟を新たにしたのである。
とはいえ当時は、終身雇用が当たり前とされていた時代。転職というもの自体が世の中のスタンダードではなく、佐山氏は前途多難な道へ自ら挑戦することになる。「とにかく食べていける職業に就こう」と思い立ち、たまたま新聞に出ていた三井銀行中途採用募集の広告が目に留まり、面接を受けることに。
年齢以外はまったく関わりのない募集だったものの、佐山氏にとって異業種であった金融業界で、「私のことをどう思うだろう?」という好奇心が応募をした動機となった。
その後、面接の場で佐山氏が初めて耳にしたのがM&Aという言葉。
「その言葉を聞いた途端、直感的に“面白そう”だと思ったんです。すぐに転職することを決めました」
それが佐山氏のビジネスの原点ともいうべき、“面白そう”を追求する第一歩でもあった。
入行後は、自身が希望していたM&A業務を担当し、独立系投資ファンドのユニゾン・キャピタルの共同設立やGCA株式会社の共同設立などの巨大プロジェクトを次々に実行。31年にわたり、事業再生の担い手としてその手腕を発揮していった。