祖母に導かれたアメリカでの成功
「親族に作家や映画プロデューサー、医師や学者などがおり、とてもアカデミックな環境で育ったのですが、私自身は何者にもなれず、ただ人生を模索する日々を送っていました」。笠氏がそう振り返る若かりし頃、道を示してくれたのは祖母だった。
「祖母は90歳でがんを患い、私は最期の半年ほどを祖母と一緒に過ごしました。祖母は私をとても可愛がってくれていたのですが、そんな祖母が最後に私にかけてくれたのが、『アメリカで勉強しておいで』という言葉だったのです」
当時25歳。英語を話すこともできない青年は祖母の葬儀から2カ月後、運命に導かれるようにアメリカへと渡った。
「アメリカに移住していた母の親友を頼ってサンフランシスコに渡り、2年制のコミュニティカレッジに入学しました。その後、友人の叔父さんから『車を日本に輸出する仕事をやらないか』と声をかけられ、欧米の高級車をチューンナップしたケーニッヒスペシャルを、日本へ輸出販売するビジネスを始めたのです」
持ち前のビジネスセンスもあり、バブルに沸く日本への輸出ビジネスは瞬く間に軌道に乗った。そして折しも1991年には、アメリカの永住権の発給が抽選で受けられるAA-1プログラム(現在のDV-プログラム)がスタート。
「その後は大混乱が起きたので完全な抽選になりましたが、第1回は先着順で永住権の発給が受けられるというものでした。そこで私は、後輩をバイトに雇って5500枚のアプリケーションフォーム(応募書類)を作成し、郵便が到着するまでのタイムラグを見越して、サンフランシスコ中の郵便局をまわって応募しました。結果、幸運にもグリーンカードを手にできたのです」
約13年間のアメリカでの生活で掴んだいくつものOpportunity(好機)。ビジネスでは成功し、永住権まで手に入れた笠氏が日本へと戻ったのは、「アメリカで学んだビジネススキルを生まれ育った日本で試したい」と考えたからだ。また、大尊敬する父に病気が見つかったことも、笠氏の日本での再挑戦を後押しした。
日本品質の防災関連製品を世界に
日本に戻った笠氏は、渋谷で海外ハイブランドのセレクトショップをオープン。当時、誕生したばかりの楽天モールにいち早く出店するなどして結果を出し、その後は羽田空港内で輸入高級ペットブティックを経営するなど、日本でもビジネスの基盤を着々と整えていった。
そんな笠氏にまた大きなOpportunityが訪れたのが、2011年3月11日のことだ。東北地方を中心に、大きな被害を出した東日本大震災。
「その当日に、都内の私立中高一貫校で教師をしていた友人から連絡がありました。彼が言うには、帰宅できなかった生徒を学校に泊めたが、毛布も寝袋もなくて辛い思いをさせてしまったと。そこで輸入品などの知識がある私に、全校生徒分の毛布か寝袋を用意できないかと、相談をもちかけてきたのです」
笠氏は予算内で高機能な寝袋を用意し、友人が勤める中高一貫校に納品。喜んだ友人の紹介や製品自体の品質もあり、都内の多くの中高一貫校からも注文を受け、同様の寝袋を納めることとなった。
「各学校で他に何か問題はないですかと聞くと、保存水などの賞味期限の問題が出てきました。当時の保存水の賞味期限は最長でも5年間で、中高一貫校や小学校で一つの区切りとなる6年に満たなかった。そこでまずは、日本の学校教育に見合った6年の賞味期限を保証する水や保存食を作ろうと。そこから事業を方針転換して、防災事業に注力することにしたのです」
その後は様々な防災備蓄用の水や食品を製品化し、防災業界でのプレゼンスを確立。さらに2016年からは、防衛省に保存水や保存食などを納品する防災食品メーカーのグリーンケミー社とタッグを組み、防災備蓄用長期保存食品のブランドである「The Next Dekade」を創設した。同ブランドではすでに、7年保存のレトルト食品やクッキー、パンなどの開発にも成功。
「長期保存食などに関する素晴らしい技術を持つグリーンケミー社と出会えたことも、私にとっての大きなOpportunity。商品の製造はすべてグリーンケミー社が行い、私たちグリーンデザイン&コンサルティングがマーケティングや販売を行っています。数年後にはレトルト食品などについても10年保存を実現し、日本の防災用備蓄食の多くを10年保存に変えていくのが私たちの目標です」
そう話す笠氏は、日本中の施設にある備蓄用食品の廃棄費用にも着目し、その問題解決にも取り組んできた。
「備蓄用の食品などを入れ替える際に、賞味期限が切れていると産業廃棄物の扱いになるため、廃棄するのに大きなコストがかかるのです。そこで当社では、本来なら8年の賞味期限の製品を7年保存として販売しています。結果、入れ替え時のコスト削減につながるうえ、備蓄品自体もNPO団体などを通じて寄付などにまわすことができるのです」
東京五輪では国立競技場の防災食としても採用された「The Next Dekade」シリーズの米を原材料とする製品は、すべて日本アジアハラール協会認証を取得。さらに製品パッケージのQRコードを読み込めば、詳細な原材料の表記やアレルギー対応表などを、20カ国以上の言語で見ることができる。
「これからの防災食にとって重要なのは、SDGsの10番目のゴールでもある『人や国の不平等をなくすこと』だと考えています。だから我々の製品では、一切の調理が不要なうえ、アレルギーや宗教などにもきちんと対応する。そして全世界の人が安心して平等に食べられるように、まだまだ対応言語を広げていきます」
誰もがどの国で災害に遭っても、平等に食べることができる――笠氏が見据えるのはそんな日本生まれの保存食が、日本はもちろん世界中で当たり前に備蓄される未来だ。
「保存食だけでなくたとえば非常用電源など、防災用品の分野において現在の日本は世界の先頭を走っています。私たちの製品を世界に広げていくのはもちろんですが、そうした業界全体で世界へと打って出れば、日本の国力回復の一助となれるのではないでしょうか。今後は国内外の方とアライアンスを組んで、ジャパンメイドの良質な防災関連製品を、世界に紹介する活動もしていきたい。私たちは小さな会社ですが、この先に訪れるであろうさらなるOpportunityに大きな期待をしています」