枠の外に出て、自分で「ゴール」を作りたい
同社は、Ruby on Railsによるソフトウェア開発に強みを持ち、様々な業種の顧客管理・売上管理・営業支援システムのほか、薬学シミュレータや位置情報システムなどのソフトウェアを受託開発する。
また、リモート環境でソフトウェアプロジェクトチームを編成し、首都圏企業のプロジェクトを進めるニアショア開発の分野で順調な成長を遂げてきた。2019年には、島根県内にニアショア開発センタを開設。Ruby、PHP、JAVA、C#等、多様な開発環境でのプロジェクトを同時進行で進める体制を築き上げている。
島根県はRubyを中心に技術者育成に熱心な県で、産官学民が連携して人材育成の施策を打っていることで知られる。同社もまた、ボランティアでのプログラミング教育など、協力を惜しまない。また自社の人材教育として、未経験から1人3言語をマスターし、リモート開発を難なくこなせる人材を育成することで、存在感を高めてきた。
小村氏は大学卒業後、SEとして東京の大手電機メーカーに就職。ITS(高度道路交通システム)の部署で、ナショナルカンパニーを顧客とする大規模開発プロジェクトを経験した。無論、それは得難い体験だったが、大組織の中の仕事に物足りなさも拭えなかったという。
「大企業は事業部があり、SEは大きなクライアントの業務に固定される。私は様々なビジネスを知り、多様な人と付き合ってみたいという気持ちが強く、一つの基準で比較、評価されるのが好きではありませんでした。営業マンの後に付いて行って知らない業界の方と会ったり、クライアントに依頼されていない領域の提案をしたり、組織の中では変人だったと思います(笑)」
故郷の出雲で経営の道に入ったのは「自分で仕事を作りたい」「自分で自分のゴールを決めたい」という思いが抑えきれなかったからだ。地方都市が抱える課題を解決する仕事にも、限りない可能性を感じていた。
「楽しい」をベースに各地と関わる開発環境
首都圏と地方でソフトウェア開発するにあたって、リソースの壁をなくす「ニアショア開発」は、地域活性化を語るうえで言わばトレンドの一つとなっているが、理想論的に語られるきらいもある。同分野において着実な業績を上げる小村氏に、現在の地方開発現場の状況を率直に聞いた。
「島根県ではRubyの潜在的技術者が多いこともあり、首都圏と技術そのものの差は感じません。しかし大きなプロジェクトの『経験値』に差があるのは否めません。個々の技術者の技術を高めるとともに、経験の深い人がチームビルディング、人材育成、リクルーティングなどに取り組み、格差を埋めていく必要があると思っています」
また小村氏は、巷の地方創生の議論にも若干の違和感をもっている。
「人口減少は特に地方において深刻で、それを食い止めることも大切でしょう。しかし多くの地方都市では、生まれ育った人をいかに外に出さないかという考え方で施策を打っているように見えます。私も東京に出ましたが、国内外の情報を簡単にネットで収集できる現在、外の世界を見たい、挑戦したいという若者の欲求を塞ぐようなことをすべきではないし、そもそも止めることはできないのです」
小村氏は故郷に強い愛着をもちながらも、いわゆる「内向き」とは無縁だ。島根に本社と自宅を置きながら、東京をはじめ、国内外あちこちを飛び回る毎日。アジア各国からの人材の受け入れ、またベトナムのオフショア拠点も展開している。首都圏や海外とのパイの奪い合いという発想はそこにはない。
「それぞれの地方が『働いてみたい』『暮らしてみたい』と思わせる特色を打ち出せば、たとえば、東京に出て住んでいる人が、ふらりと戻って来て一緒に仕事ができるかもしれない。地方創生において我々が寄与できるのは、首都圏や海外で挑戦する若者を応援しつつ、地方に『人が集まる場』を作ることなのだと思っています」
内外に目を向け、大都市の大きなプロジェクトに参加しつつ、ローカルな課題の解決にも取り組む。そんな分散型開発プロジェクト体制を創り上げ、各地に展開していく。日本国内の様々な拠点にプロジェクトベースで国内外からエンジニアが集結する。小村氏は、そのような開発環境の実現を思い描いているのだ。
挑戦を続ける小村氏のモチベーションは何かを聞いた。
「やはり『楽しい』ということですね。プログラマはやりたいことをするとき、3倍、10倍の生産性を発揮します。また、常に目の前の『やらなくてはならない』仕事以外に『やりたいこと』『役に立つかわからないけど触ってみたい技術』があるもの。その領域を大切にして、失敗を許容し、試行錯誤できることが大切なのだと思っています」
地方がそれぞれ特色をもった無数の「楽しい」を創り出し、内外の人々が関心、関係をもつ機会を増やしていく。小村氏の話からは、人口減少社会における、イノベーティブで持続的な地域社会の姿が見えてくる。