建機車両の自走回送・軽貨物輸送体制を構築
「以前は東京で働いていたのですが、震災の前年に母が急死し、精神的に不安定になってしまった家族のケアをするため、実家のある福島県の郡山市に戻ることにしたのです。その後、東日本大震災が起こり、私が住んでいた郡山市内はもちろん、南相馬や宮城の気仙沼など、沿岸部の被害も目の当たりにしました。まさに地獄絵図となったその光景を見て、今後の人生では、故郷の福島や東北の復興復旧の一翼を担う仕事をするべきだと決意したのです」
福島をはじめとする当時の被災地で、三宅氏の脳裏に焼き付いていたのが、何台もの大きなトラックが瓦礫を積んで走る光景だった。同時に、三宅氏が“第二の父”と慕う地元の知人から、被災地に建機やトラックなどの車両を運び込む仕事のニーズを聞くうち、頭にぼんやりと思い浮かんだ点と点が、一本の線として繋がった。
「日本には有力な建機リースの会社がいくつかあり、大きな現場ではそうしたリース会社の全国の営業所から、大手ゼネコンや地元の建設会社などが仕切る現場に建機車両が貸し出されています。とはいえ、営業所から現場へ、そして現場から現場へ建機車両を運ぶリソースは、決して十分ではありません。そこで、まずは被災地の復興復旧に携わる建機リース会社様の建機車両の自走回送や軽貨物輸送を担うべく、グローバルシェアを立ち上げたのです」
当初は社長の三宅氏と女性事務員の2名のみ。飛び込みで地元の営業所をまわり、最初の依頼では三宅氏が自らハンドルを握った。そこから約8年の間に、東北から北関東、関東一円、東海、中部地区にまで事業を拡大。今では総勢260名を超える契約ドライバーを抱え、これまでに延べ150万台を超える建機車両や軽貨物を目的地へと運ぶなど、確固たる実績を積み上げてきた。
成長の源泉となったのは、三宅氏が創業時から大切にし、本社の看板やスタッフが着るジャンパーにも書かれる“困声応”の精神だ。
「国土のインフラを支援する仕事として、建機リース会社様の“お困りの声に即応”する。創業時からそれだけを考え、儲けを度外視して一便一便の仕事に取り組んできましたし、本当に不可能なもの以外は、すべての依頼をお受けしてきました。そうした姿勢に加え、当日の急なご依頼にも迅速に対応できる機動力や、ドライバーの質の高さが、競合他社にはない私たちの大きな強みになっています」