患者の病気ではなく、人生を見届けたい
「地域医療に貢献するためには、患者さんとの信頼関係が必要不可欠です。そして信頼を置いてくれる患者さんがいる以上、その信頼を裏切ることはできません。だから私自身は、この地に一生を捧げると決めているんです」と断言する松林氏。「やり始めたら最後までやり遂げる」「医療は継続するもの」。それが彼のモットーでもある。
そうした考えは、自身の生まれ育った環境にも所以があった。共に開業医であった両親は、地元・広島の地に医師人生を捧げ、彼の指針となった存在でもある。
「母は87歳になりますが、現在も同じ土地で診療を続けています。それがどれだけ価値のあることか、身にしみて理解しています」と松林氏。しかし彼のキャリアは、母のように”続ける医療”とは180度違った環境からスタートした。
医学部を卒業後、順天堂大学整形外科医局に入局した松林氏は、「大学病院では3カ月で異動になることも日常的だった」という環境のもと、キャリアを積んでいった。
「医師が異動を繰り返し、様々な現場で研鑽を積むことができるのは一つのメリットだと思います。しかし患者さんに継続して関わることができない以上、信頼関係が生まれづらいことも事実。そこに大きな違和感を感じていました」と当時を振り返る。
そして、その思いが同クリニック開業のきっかけへと繋がった。「大学病院で培った経験を活かし、地域医療に自分の一生を捧げよう」。そう決意したのだ。
そんななか、松林氏が長年追求してきたのが「アナログ医療の推進」である。日本は超高齢化社会を迎え、労働人口の減少とともに医師不足も大きな課題となった。それを補ううえで、医療のデジタル化が加速度的に進んでいる。しかし患者さんとの信頼関係構築が必要とされる地域医療において、「デジタル化は時に、適切な医療を提供する妨げになってしまう」と松林氏は警笛を鳴らす。
患者の人生を包括的に診ていくために
実際に多くの大手病院ではデジタル化が進み、患者と医療スタッフがほぼ会話をしないまま、受付から診療までを終えることもあるようだ。高齢者の多くはデジタルに馴染みのない方も多く、ロボット相手の自動受付や自動会計にためらう人も少なくないという。
「例えば画像診断など、デジタル化が必要な側面もありますが、全てがデジタルであれば良いとは思いません。あえて人と人が密接に関わるアナログな医療も大事にしていきたい」と松林氏。
そのため同クリニックでは、できるだけ患者の手に触れ、直接的な対話を通じた医療サービスを徹底する。電子カルテが広く普及した昨今でも、手書きカルテを使用し続けていることもその一例だ。
「電子カルテにすると、医師がパソコンの画面に向いているばかりで、患者さんと一度も目が合わないまま診療が終わるというケースもよくあるようです。それでは心のこもった優しい治療は提供できないでしょう」
そうした患者に対する真摯な姿勢は、松林氏自身が発起人となり、20年以上前から続けている「NPO法人まつぼっくりの会」のボランティア活動にも繋がっている。
同NPOは、これまで年2回、計45回のボランティアコンサートを開催。松林氏が往診で出会ったパーキンソン病患者に「何をしたいか?」と尋ねた際、「コンサートに行って音楽が聞きたい」と答えたことがきっかけで始まった活動だ。
「病状によってコンサートに行きたくても行けない人は山ほどいらっしゃいます。それなら僕が安心して行けるコンサート会場を作りますよ、と約束したのが開催のきっかけでした」
会場は南行徳市民センターのホールで、様々な病気を抱えた患者を中心に毎回160名近くが来場する。看護師や医師も会場に待機し、医務室も併設。来場者は演奏中でも自由に出入りができるよう配慮されている。
「まつぼっくりは、木から落ちた衝撃で胞子を拡散し、新しい実をつけます。それと同じように、この活動も様々な地域で広がっていけば嬉しい。NPO法人として活動しているのは、単なる僕の慈善活動ではなく、僕がいなくても他の誰かが活動を継承できるようにという思いがあったからです」
毎回様々なアーティストを招き、演歌やジャズ、ゴスペルや和太鼓演奏会まで多岐にわたるコンサートを開催。「1年に2回の楽しみができる。コンサートのためにおしゃれができる。とにかくどんな理由でもいいので、生活に生きがいを感じてほしい」と松林氏。
実際に寝たきりや脳梗塞で言葉が話せなかった人が、コンサートを通じて病気の回復に向かったという反響もあるという。医療の枠を超え、患者の人生を包括的に支援していく活動を続ける松林氏。彼が理想としてきた地域医療は、これからも継続していくことで大きな実りとなっていくのだろう。