
農業用かん水機器・資材のパイオニア。
農業先進国といえばオランダが頭に浮かぶが、ハイテクによってアグリテック先進国として世界をリードしているのがイスラエルだ。国土の多くを乾燥地帯が占め、周辺諸国と緊張関係が続いているため食糧確保が命題となり、水に関する技術が進化し農業が発展。水や肥料を点滴のように滴下して節水・減肥の栽培が可能なドリップ(点滴灌漑)と呼ばれるかん水技術は同国で生まれた。そんなイスラエルに早くから着目し、1968年に日本に初めてイスラエル製のスプリンクラーを紹介したのが、サンホープの創業者である益満和幸氏だった。
「もともと父は海外の商品を輸入する会社に勤めていて、1955年に日本に初めてアメリカのスプリンクラーを紹介。ここに商機を見出したようで、実業家肌だった父は1977年にサンホープを設立し、かん水機器・資材を輸入販売するようになりました。1979年に大きな被害を出したお茶の葉の凍霜害に対して、散水氷結法という手法を日本で初めて実践。これはスプリンクラーで水を撒き、水が氷になるときに放出する熱を利用して、葉の中まで凍らないようにするというものです。この取り組みが1981年に成功を収め、会社は大きく発展したと聞いています」
そう話すひろみ氏は1978年に音響機器メーカーのパイオニアに入社したものの、女性がより活躍できる環境を目指して1984年に単身渡米。三菱銀行のヒューストン支店を経て、三菱商事が三菱重工のフォークリフトを販売するためにアメリカに設立した商社、Machinery Distribution Inc.で営業職として活躍した。その後、三菱商事がフォークリフトの販売から撤退したことを機に、自身の会社Sun Hope,U.S.A.Inc.を設立。
「商品を口コミで宣伝するようなマーケティング会社を経営していました。その頃、父から会社を継がないかと誘われたのですが、ビジネスが軌道に乗りアメリカでの生活が気に入っていた私はかたくなに固辞。当時、母からの話によると、父はかなり激怒したそうです。その後、父は世界中で行われる農業関係の展示会に私を通訳として連れて行くようになり、それもどうやら私に事業を継がせるための戦略だったようです(笑)」
2003年、和幸氏の死去に伴いアメリカ在住継続という条件付きで同社の代表取締役に就任。アメリカからテレビ会議に参加したり、アメリカと日本を行き来したりしてきたが、コロナ禍によって日本で経営の指揮を執る。現在もスプリンクラーやドリップチューブといったかん水機器・資材および付帯機器の取り扱いが事業内容の中心で、イスラエルをはじめ世界で高いシェアを誇る多数のトップメーカーの輸入代理店を務めている。
「世界中から優れた技術でつくられたものを扱っているのがうちの強みです。例えばそれぞれ別のメーカーで製造された液体肥料混入器とかん水を自動化するタイマー、フィルターを組み合わせて独自の商品として販売。2018年にはクラウド型のコントローラーを発売しました。これは専用アプリを使い、インターネット上でかん水プログラムの遠隔操作や監視ができるというもの。雨センサーや流量センサーにも接続でき、異常が発生した場合はメールで通知してくれるなど、きめ細かいかん水制御ができます」