
世界をリードするスポーツ医学を日本へ紹介。
ピラティスの歴史は、1920年代にドイツ人看護師のジョセフ・H・ピラティス氏が、戦争で負傷した兵士のリハビリのために開発したエクササイズから始まる。1926年に渡米したピラティス氏はニューヨークにスタジオをオープンさせ、独自に製作した器具を使ったエクササイズはアスリートやバレエダンサーらの支持を集めて発展していく。現在、ピラティスは体幹やインナーマッスルを鍛え、体全体のバランスを整えることで痛みの改善、ケガの予防、パフォーマンスの向上、美しい姿勢などを実現する運動として世界中に広まっている。
「約100年前にピラティスさんが始めたものに理学療法の要素を融合させ、なぜよくなるのかという学術的な理論を確立させたのがPHIピラティスです。当時、トレーナー志望の学生にアメリカのスポーツ医学を体験させる取り組みをしていた私は、アメリカで創設者のクリスティン・ロマニ・ルビィさんと出会い意気投合。PHIピラティスはすべてのエクササイズが機能介護に関わり、解剖学や運動学によって成り立っていました。ケガを予防することとケガを早く治すことは別ものだと思っていましたが、PHIピラティスでは早く治して予防もできる。このことに衝撃を受け、日本でぜひ広めたいと思ったのです」
そう話す桑原氏の半生はスポーツとともに歩んできた。高校時代に陸上競技に明け暮れていたものの、ケガが原因で伸び悩んでいた。その頃に、アメリカではスポーツ選手をサポートするアスレティックトレーナーという仕事があることを知り、資格取得のために南イリノイ大学へ進学。国家資格であり準医療資格でもあるNATA(全米アスレティック協会)の「アスレティックトレーナー」は難関資格として知られていたが、1回目の受験で見事に合格。大学卒業後はシカゴ・ホワイトソックスのアスレティックトレーナーに就任するという快挙を成し遂げた。
「帰国後はアメリカでの経験を生かして、トレーナーの育成を主な事業とする会社へ就職。学校法人三幸学園の専門学校で担任をもたせてもらい、トレーナーの卵である学生達を指導していました。スポーツ医学において、当時の日本はアメリカより40年も遅れていると言われていて、その差を埋めていく仕事にやりがいを感じていました。このときの経験が、 “より良いものを後世に残す”というCODE7の理念に深く関係しています」
その後、PHIピラティスに出会った桑原氏は起業し、2011年に株式会社CODE7を設立。PHIピラティス ジャパンの代表として、これまでに築いた人脈を生かして日本のプロスポーツ界に向けて普及に力を入れていく。2016年には整形外科の医師と知り合ったことがきっかけとなり、老舗のスポーツ医学専門誌『臨床スポーツ医学』でピラティスを紹介したところ大反響を巻き起こした。さらに翌年には、ピラティスを扱う医学書としては世界初となる『運動療法としてのピラティスメソッド』を発刊。そして、三幸学園の医療スポーツ系専門学校でPHIピラティスをアレンジした授業を特別に行ったところ、学生から高い満足度が得られ、2023年度からは必須科目として採用されることが決定した。
「PHIピラティスの資格を取りたい人は増えていますが、これまでの人体の機能解剖(骨・筋肉・動き)は、初学者には学びづらいものでした。そこで2022年の春に開発したのがスマートフォンで利用できる学習アプリ『ポケ模型』です。骨格と筋肉を3Dで表現し、漢字とひらがなで部位名を表示。部位をタップすると、どのような働きをするのかが文章で表示されるなど、憶えやすい工夫を凝らしています。またAIを活用して、一人ひとりの習熟度に合わせた学習ができるアダプティブラーニングを採用。テストを出題する機能では、1200問を超える豊富な設問から過去に間違えたものや覚えていないものが出題されるようになっています」