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桑原匠司
KUWABARA SHOJI

桑原匠司

株式会社CODE7 代表取締役

PHIピラティスの日本への普及をはじめ、
良いものをより良いかたちで後世に残す。
今では多くの人に知られているエクササイズのピラティス。しかし、そのスタイルは多岐にわたり、複数の団体が存在している。そのうちの一つ、PHIピラティスの普及に努めているのが、株式会社CODE7の代表取締役である桑原匠司氏だ。「より良いものを後世に残す」を信条にさまざまな事業を展開。最近では2022年5月に亡くなった「フランスの至宝」と呼ばれた画家・松井守男氏のアートを広めるための取り組みも始めている。
桑原匠司
画像はイメージです。
世界をリードするスポーツ医学を日本へ紹介。

ピラティスの歴史は、1920年代にドイツ人看護師のジョセフ・H・ピラティス氏が、戦争で負傷した兵士のリハビリのために開発したエクササイズから始まる。1926年に渡米したピラティス氏はニューヨークにスタジオをオープンさせ、独自に製作した器具を使ったエクササイズはアスリートやバレエダンサーらの支持を集めて発展していく。現在、ピラティスは体幹やインナーマッスルを鍛え、体全体のバランスを整えることで痛みの改善、ケガの予防、パフォーマンスの向上、美しい姿勢などを実現する運動として世界中に広まっている。

「約100年前にピラティスさんが始めたものに理学療法の要素を融合させ、なぜよくなるのかという学術的な理論を確立させたのがPHIピラティスです。当時、トレーナー志望の学生にアメリカのスポーツ医学を体験させる取り組みをしていた私は、アメリカで創設者のクリスティン・ロマニ・ルビィさんと出会い意気投合。PHIピラティスはすべてのエクササイズが機能介護に関わり、解剖学や運動学によって成り立っていました。ケガを予防することとケガを早く治すことは別ものだと思っていましたが、PHIピラティスでは早く治して予防もできる。このことに衝撃を受け、日本でぜひ広めたいと思ったのです」

そう話す桑原氏の半生はスポーツとともに歩んできた。高校時代に陸上競技に明け暮れていたものの、ケガが原因で伸び悩んでいた。その頃に、アメリカではスポーツ選手をサポートするアスレティックトレーナーという仕事があることを知り、資格取得のために南イリノイ大学へ進学。国家資格であり準医療資格でもあるNATA(全米アスレティック協会)の「アスレティックトレーナー」は難関資格として知られていたが、1回目の受験で見事に合格。大学卒業後はシカゴ・ホワイトソックスのアスレティックトレーナーに就任するという快挙を成し遂げた。

「帰国後はアメリカでの経験を生かして、トレーナーの育成を主な事業とする会社へ就職。学校法人三幸学園の専門学校で担任をもたせてもらい、トレーナーの卵である学生達を指導していました。スポーツ医学において、当時の日本はアメリカより40年も遅れていると言われていて、その差を埋めていく仕事にやりがいを感じていました。このときの経験が、 “より良いものを後世に残す”というCODE7の理念に深く関係しています」

その後、PHIピラティスに出会った桑原氏は起業し、2011年に株式会社CODE7を設立。PHIピラティス ジャパンの代表として、これまでに築いた人脈を生かして日本のプロスポーツ界に向けて普及に力を入れていく。2016年には整形外科の医師と知り合ったことがきっかけとなり、老舗のスポーツ医学専門誌『臨床スポーツ医学』でピラティスを紹介したところ大反響を巻き起こした。さらに翌年には、ピラティスを扱う医学書としては世界初となる『運動療法としてのピラティスメソッド』を発刊。そして、三幸学園の医療スポーツ系専門学校でPHIピラティスをアレンジした授業を特別に行ったところ、学生から高い満足度が得られ、2023年度からは必須科目として採用されることが決定した。

「PHIピラティスの資格を取りたい人は増えていますが、これまでの人体の機能解剖(骨・筋肉・動き)は、初学者には学びづらいものでした。そこで2022年の春に開発したのがスマートフォンで利用できる学習アプリ『ポケ模型』です。骨格と筋肉を3Dで表現し、漢字とひらがなで部位名を表示。部位をタップすると、どのような働きをするのかが文章で表示されるなど、憶えやすい工夫を凝らしています。またAIを活用して、一人ひとりの習熟度に合わせた学習ができるアダプティブラーニングを採用。テストを出題する機能では、1200問を超える豊富な設問から過去に間違えたものや覚えていないものが出題されるようになっています」

桑原匠司
アートの価値を伝えるメタバースとNFT。

そして、「より良いものを後世に残す」をテーマに、次に取り掛かろうとしているのが画家・松井守男氏に関するプロジェクトだ。松井氏は1967年に武蔵野美術大学を卒業後パリに留学し、半世紀以上にわたってフランスで絵画を描き続けた。晩年のピカソのアトリエに自由に出入りすることを許された画家としても知られ、43歳のときに面相筆で描いた『遺言』によって独自の作風を確立。「光の画家」として評価を揺るぎないものにし、永年の功績によってフランス政府より芸術文化勲章とレジオンドヌール勲章を受章している。

「私は茶道を習っており、先代の家元から美しさを追求するのならアートのことも知っておかないけないと助言され、2020年頃に紹介していただいたのが松井画伯でした。東京の神田明神と愛知のホテルアークリッシュ豊橋に飾られている画伯の絵を見たときは、その美しさに圧倒されました。残念ながら1年半ほどの短いお付き合いでしたが、画伯の素晴らしい絵を後世に残すために、スキャニングしたものをメタバースの美術館に展示することを考えています。そして、絵が欲しい人にはNFTで価値を付与したアートとして販売。画伯の絵の価格は数千万円から数十億円と言われていて、デジタル化することで多くの人達にその価値を知ってもらえるのではないかと思っています」

実は桑原氏の自宅玄関にも松井氏の絵が飾られていたことがある。4歳になる桑原氏の子供が幼稚園に出かける際、迎えにきた幼稚園のバスに乗る園児達が松井氏の絵を見るたびに歓声を上げるのだという。この経験から見るだけで感動やパワーを与えるアートの素晴らしさを体験した。こうした力を与えてくれるものとして他にも歌や音楽があり、今後はブロックチェーン技術を使ったカラオケアプリ『​​SingM』を普及させる予定だ。さらにはアートとしての価値がある写真や水墨画、生け花、盆栽などを題材にした事業も考えている。

「専門学校で教えていた当時、日米のスポーツ医学は40年もの開きがあり、私は未来からやってきて過去の学生達に教えているような感覚がありました。そのとき、逆に未来の人達に何かを繋げる作業とはどんなことだろうと思ったのです。それは、私達にとっては大きな発見だったけど、未来の人達は当たり前のようにやっていることなのかもしれません。なかでも誰かが発見・発明したものをより良いものに改良するのは日本人の得意とするところ。その良いものに多くの人を気付かせてあげるのが、私達の役目なのではないかと思っています」

これまでにPHIピラティス ジャパンは桑原氏の尽力のおかげで、3500名以上のインストラクターを輩出。日本で活動しているピラティス団体の中では、最もライセンス取得数の多い団体へと成長した。時代の変化に対応しながら、人々が気付いていないところにスポットライトを当て、良い暮らしや人生に繋げていく。業界や分野に捉われることなく活動する柔軟性を武器に、桑原氏率いるCODE7はその領域をますます拡大していくだろう。

桑原匠司

株式会社CODE7 代表取締役
https://phipilatesjapan.com/
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。