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健康的な生活環境を提供する
日本住建は、住宅を手掛けるホームビルダー。愛知県全域を商圏とし、累計6000棟以上の住宅を建ててきた。ホームビルダーは、ハウスメーカーと工務店の中間のような存在で、地域に密着しているため顧客の細やかな要望に対応しやすい傾向がある。日本住建は、木のよさを存分に活かした木造の注文住宅をメインにしていることが特徴だ。
注文住宅の最大のメリットは、顧客の要望を設計や意匠に反映させやすい点。そのため、同社にはコーディネーターと呼ばれる専門職がいる。設計士が間取りや動線といった基本的な部分を設計するのに対して、コーディネーターは照明計画やフローリング、壁紙など、具体的なライフスタイルを彩る要素を提案する。その結果、顧客が嗜好する暮らしに適した住宅が出来上がる。
機能性へのこだわりも強く、以前から断熱性能に力を入れてきた。室内の温度と人間の健康状態には密接な関係があり、WHO(世界保健機構)は住宅の最低室内温度を18℃以上とすることを勧告している。イギリスでは、室内の最低温度が18℃を下回る住宅に対しては、改善または解体命令が出されることもあるという。
「日本の住宅の場合、冬の洗面所の平均室温は12℃くらいで、健康的な生活環境であるとはいえません。当社では洗面所でも寝室でも、朝に起床した段階で室温18℃以上の住宅をつくることを目指して断熱性に取り組んでいます」
地震に強い家をつくるために真面目な家づくりを
日本住建のルーツは、終戦の年まで遡る。1945年に愛知県三河湾で発生した三河地震で、兵藤氏の祖父は愛妻を失った。このときの経験を忘れまいと、30年後の1975年に、兵藤氏の父と共に名古屋市で日本住建を創業した。
「三河地震の際、祖父は住宅の柱が飛び跳ねて、家が踊っているような姿を見たそうです。そして私の父に、“人生でいちばん大きな損失は、お金や家を失うことではなく、大切な家族を失うことだ”と語っていたと聞きました。家族を失うことはあってはならないという思いから、地震に強い家をつくることを目的に立ち上げたのが弊社なのです」
当時、安城市はかつての水田地帯に住宅が次々と建てられており、その様子を目の当たりにした祖父と父は安城市に会社を移転。地震に強い家づくりが評判となり、街の発展とともに会社も成長していった。
「私が代表を継いだ頃、理想の会社を目指し意気込んでいたものの、社員の共感は得られませんでした。そんな矢先、新型コロナウイルス感染症による大打撃が訪れました。そこで、本当に価値を訴求できる家づくりをしなければと思い、耐震性に加え、断熱性、デザイン性を高めていく方針に変えたのです」
この決断によって業績は好転していく。コロナ禍前の年間着工棟数は約90棟で、コロナ禍後は約40棟まで下がったが、付加価値が増したことで利益体質は格段に強化された。一人ひとりの社員に向き合い、目指す家づくりをていねいに説いていったことで信頼関係も深まり、好循環を生み出したのである。
「初めて来られたお客様には、2016年に発生した熊本地震の揺れを再現した動画を見てもらっています。同じ敷地に2棟の家が建っており、ひとつは建築基準法が定める耐震基準よりも1.5倍強い耐震等級3の住宅。もうひとつは許容応力度計算と呼ばれる構造計算を行い、大地震でも建っていられることを数値で確認した当社の住宅です。最初の揺れからわずか6秒ほどで、耐震等級3の住宅は倒壊しました」
日本住建の住宅がびくともしなかったのは、許容応力度計算に即した耐震構造が施されていたからである。同社のこだわりは、注文住宅ゆえに1棟ごとに構造が異なるなかで、全棟に対してしっかりと許容応力度計算を行っていることだ。
「こうした真面目な家づくりを、お客様に訴求するのは難しいのが悩みどころです。なぜなら、住宅選びを真剣に考え、複数の会社の見積もりを比べ、何が違うのかを考えはじめたお客様が、ようやく興味をもつのが構造の違いだからです。地道にアピールしていき、ゆくゆくは愛知県内の1%のシェアを獲得したいと思っています。現在、愛知県には持ち家だと約2万棟の木造住宅があるとされているので、年間着工棟数200棟を目指します」
並行して取り組もうとしているのが、家づくりに関する技術やノウハウを全国の工務店にシェアしていくことだ。「本当に信用できる住宅会社を探している人たちは、世の中にたくさんいます。そうした家づくりを真剣に考えている人たちを幸せにするのが私たちの使命です」と、さらなる挑戦に向けて意欲を燃やし続けている。