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かゆいところに手が届く存在として信頼を獲得。
中国・四国地方の瀬戸内海沿岸に広がる瀬戸内工業地域。重化学工業が盛んな地域で、周南市にも石油化学コンビナートを筆頭に、重工業メーカーなどによる大規模な工場がひしめき合っている。同社はこのようなプラントの管工事を主な事業としている。建設業法が定める29種類ある建設業許可業種のうちのひとつが管工事だが、ビルや施設、住宅の水道やガス、空調、給排水などに関する管工事とプラント管工事は明確に区別されている。
「周南地区では眼鏡のレンズになる原料や、塩ビ材のもとになるモノマーやポリマーなど、製品をつくるための原料を製造するプラントが多くあります。当社では材料屋から鋼材やステンレス材などによるパイプ状になった管を仕入れ、自社工場で切断や溶接を行い加工。7割ぐらいの工程を工場で行い、残りの3割は現場で組み立てるなどして管工事をします。当社で管の設計まで行うこともあれば、お客様から図面をいただいて管をつくる場合もあります。実際に作業するのは協力会社の職人さんで、当社の従業員は施工管理という立場で仕事を行っています」
同社の特長は、顧客である重工業メーカーや化学工業メーカーから元請けとして仕事を受注していることだろう。従業員数約50名という規模だと、一般的には同業大手の下請けになることが多いが、直接受注することで金額面でも有利になる。それを支えているのが圧倒的な品質のよさと仕事内容だという。熟練の溶接工をたくさん抱えていることに加え、プラスアルファとしてオプションを無償で提供していることが特長になっている。
「管工事が終わると、溶接の品質などを調べる非破壊検査を受けなければいけません。この工程を他社では外部の第三者機関に発注するのに対して、当社では社内ですべてできるように設備を整えています。またすべての作業工程を撮影して、画像や情報として記録しています。これは受注内容に含まれない作業なのですが、行う理由はお客様が後になってから記録を必要とするケースがあるからです。つまり、お客様から言われたことだけをやるのではなく、言われていないこともやるのが当社の流儀なのです」
このような取り組みが功を奏し、かゆいところに手が届く存在として、顧客が頼りやすい関係性を築くことに成功。その結果、積極的に営業することなく仕事の受注が決まり、多くの支社をもつ顧客からは全国各地の仕事が舞い込んできている。「当社はまだまだ若い会社で、もっと大きくしたいと思っている人間が集まってきます。従業員の平均年齢は30代後半で、20代もどんどん入社しています。彼らのひたむきさが当社の強みのひとつになっています」と原田氏は胸を張った。
日本一を達成したときに人や会社の変化を見届けたい
周南市で生まれ育った原田氏は大学4年生のときに、プラントの管工事の会社で働いていた友人の誘いでアルバイトとして働くことになった。その会社には学校の先輩をはじめとした知り合いも多く、鋼材を加工して管をつくっていく作業が面白くて次第に仕事に没頭していく。そして、大学卒業後はその会社に就職するのではなく、2005年に新英工業を屋号とする個人事業主として仕事を請け負うことを選んだ。その後、法人化し、2020年に現在の社名に変更した。
「会社を立ち上げたのはひとつの工場の管工事を、自分たちの会社だけでできるようになりたいと思ったからです。そのために、足場や電気関係、塗装など、プラント建設に関わるさまざまな業種のことも他社で修行させてもらい学びました。その後は従業員を増やしながら、仕事の規模を大きくし自社工場を建設。同時に私自身もオールラウンドな職人から施工管理へ仕事をシフトしていきました。今では当初の目標を達成しましたが、やっとスタートラインに立てたという感覚です。次は日本一を誇れるプラントの管工事会社を目指したいと思うようになったからです」
実は、原田氏は硬式野球の強豪として知られる山口県立南陽工業高校を卒業しており、控え選手ではあったものの甲子園出場を果たしている。野球部に入部した当初はレギュラーになることだけを目指していたが、チームの一員として鍛錬を重ねるうちに、チームが甲子園に行くためには自分の役割は何だろうかと考えるようになった。個人ではなくチームを重視する経験が今の仕事にも生きているという。
「野球をやっていた頃は、自分ひとりのキャパは限られているのだからボールを長く握るな、すぐに投げろとよく言われました。仕事も同じで、自分の仕事はすぐに誰かに任せる。従業員もそれを繰り返していくうちに会社が大きくなっていきました。また、会社が大きくなるにつれて従業員が安心できる環境になっていくことにも気付かされました。当社が大きな仕事をコンスタントに受注し続けることで協力会社も増え続け、また従業員の紹介で入社するケースも増加。次第に地域に貢献したいという思いが強くなっていったのです」
このような思いが募り、2025年3月に社会人野球クラブチーム「三和テクノイノベーション」を発足。学校を卒業しても野球を続けるために県外へ出ていく人が多いため、野球ができる環境を整えて人の流出を防ぐことと、県外からも人を呼び寄せることが大きな狙いだ。実際に野球を続けたくて、県外からやってきて同社に転職した人もいる。誕生1年目であるにも関わらず、町を上げてチームを応援する気運は高まっており、都市対抗野球大会の本選出場とプロ野球選手の輩出を目標に掲げる。
「会社の目標は日本一になること。実際の競合会社は売上1,000億円や何百億円の大手ばかりですが、仕事の内容や品質、従業員や協力会社が増えている勢いを考えると、日本一になれる手応えは十分にあります。日本一の定義は売上というよりも、私自身が日本一と思える大規模工事をやったと実感することができたとき。日本一の景色を従業員が実感してくれたら、見る世界がまったく変わるはず。そのときに、人がどう変わるのか、会社がどう変わるのかを見てみたいと思っています」