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幼き日に憧れた眼科医だった父の背中
父である隆生氏がフジモト眼科を開院したのは、藤本氏が小学生の頃だった。
「幼少期から眼科医として働く父の姿や、父の治療によって『よく目が見えるようになった』と喜ばれる患者様の姿を見てきました。その頃から、自分も父のように人に喜んでもらえる仕事がしたいという思いを抱き、将来は眼科医になりたいと思っていたのです」
藤本氏がそう振り返る通り、幼い日から常に憧れの存在だった父は、44歳の若さで急逝。
「当時の私は高校生でしたが、以来、眼科医になるという覚悟をさらに強くし、幸い医学部にも現役で合格することができました。私自身が1日も早く立派な眼科医になって父の跡を継ごうと努力する一方で、父の友人の先生など、多くの方々がフジモト眼科を存続させるために力を尽くしてくださいました。そうした皆様のサポートのおかげで、眼科医として複数の病院で研鑽を重ねた後、2008年に副院長としてフジモト眼科に戻ることができたのです」
そして2012年には同院の理事長に就任。父と多くの人々の支えで続いてきたフジモト眼科を、今後も発展的に継続させるため、藤本氏が注力することの一つがスタッフの育成だ。
同院では白内障や緑内障、ドライアイや眼精疲労から角膜疾患、黄斑変性といった眼科疾患全般の診療はもちろん、白内障や翼状片、結膜弛緩症や涙管チュービング挿入術といった日帰り手術などにも対応。年間1000件以上の白内障手術を手掛け、白内障治療についての著書もある藤本氏は、眼科医として業界でも高い評価を受けている。
「ドクターが常に知識をブラッシュアップして技術の向上に務めたり、最新の治療機器を揃えたりすることは、眼科医院として当然のこと。しかし、実際にクリニックで患者さんと接する時間は、ドクターよりもスタッフの方が圧倒的に長くなります。不安を抱える患者さんに、安心して治療や手術を受けていただくために、スタッフの印象はとても重要なポイント。だからこそ当院では、全てのスタッフに対する教育や、スタッフに充実感を感じながら働いてもらえる環境づくりを重視しています」
より地域の人々に愛される眼科医院を目指して
同院が掲げる理念は、「患者様の不安を安心に変え、安心を希望に変え、希望を“見える喜び”“生きる喜び”に変える」というもの。子どもからお年寄りまで、不安を抱えて来院する患者が一様に、治療を終えた頃には笑顔になる。まさに地域の人々に愛される眼科医院であるフジモト眼科を支えるのは、そうした理念のもとに集い育ったスタッフたちだ。
「ある患者さんなどは、当院で働いている視能訓練士に憧れ、一緒に仕事がしたいと視能訓練士の資格を取り、実際に当院のスタッフになってくれました。若い人たちの憧れとなるような人材を育てることを目標にしていたのでとても嬉しく思いましたし、スタッフにはたとえ他の病院や別の業界に移ったとしても、活躍できるような人材に成長してもらいたいと思っています。スタッフが充実感を感じられなければ、患者さんに良いサービスを提供することはできません。『フジモト眼科で働いて良かった』と言ってもらえるように、今後も全員のスタッフが成長とやりがいを感じながら働くことのできるクリニックを目指していきます」
多くの患者が治療や手術によって目の悩みから解放される一方で、病院が苦手なために受診を先延ばしにした結果、病状が悪化して手遅れになってしまうケースもある。そこで同院では“病院っぽさ”をできる限り排除し、受診のハードルを下げるチャレンジも行っている。
「クリニックの入口にキリンやシマウマ、チンパンジーなどの等身大の動物のオブジェを置き、動物園のような楽しい雰囲気を演出しています。子どもたちはもちろん、大人の患者様にも喜んでいただいており、今ではシンボル的な存在として地域の方々に親しみをもって受け入れてもらっています。実はそれぞれの動物にも意味があり、たとえば遠くを見渡せるキリンには、“より良い未来に向けて諦めずに治療をしてきましょう”という患者様へのメッセージ、シマウマには白黒の柄のように、“はっきりと明確な診断をする”という私たちの意気込みを込めています」
長く同院に通う患者の中には、藤本氏の父との思い出を聞かせてくれる人もいる。
「当院での治療や手術で目の悩みから解放され、その後の生活で諦めていたスポーツや旅行を楽しみ、豊かな人生を送っておられる患者さんの喜びの声が聞けるのは、眼科医として何よりも嬉しいこと。地域の人々に愛されながら、父と多くの方々の支援のおかげで続けてくることができたフジモト眼科を、発展させて2人の息子に引き継ぐことが私の目標。今後も『東住吉区にフジモト眼科があって良かった』と思っていただけるように、地域の人々により愛されるクリニックを目指し、スタッフとともにチャレンジを続けていきたいと考えています」