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山本浩之
YAMAMOTO HIROYUKI

山本浩之

創健舎工房株式会社 代表取締役

過渡期を駆け抜ける旅人、
路地裏からアジアの次代を拓く。
たった一人で、身軽さを第一義に社員を雇わず15年。創健舎工房株式会社代表取締役の山本浩之氏は、不動産投資家や事業会社向けの不動産収益物件や土地の売買仲介とコンサルティングなどの国内事業、ならびに東南アジア諸国での戸建て住宅開発事業のプロデュース、投資家向けの収益物件の売買仲介とコンサルティングなどの海外事業を二本柱に、世界を飛び回ってきた。コロナ禍に閉じ込められた彼の次の一手とは。
山本浩之
荒野をめざした青年が見つけた夢

中学生のとき読んだ、五木寛之『青年は荒野をめざす』の影響で、子供の頃から「いつか海外で仕事をする」と決めていたという山本氏。法政大学時代、バイト代で休学中の学費を納め、1年間バックパッカーとして世界25カ国を歴訪したのが、バブル初期の1987年。

「それ以降のベルリンの壁崩壊以前とその後のドイツ、天安門事件の中国。東南アジアの発展など、これまでの世界各国の時代の変化を自分の目で見てきました。行くたびに空が狭くなるのが、はっきり分かるんです」

「各国を旅して、急速な発展や衰退を常にリアルタイムで肌で感じてきました。特に東南アジアは、1960年代の日本を見ているかのような、めまぐるしい高度成長をこの30年ほどずっと続けており、まだ止まる気配がありません。今世界中で、いちばん変化がないのは日本かも知れません」

そんなスピード感に惹かれ、独立後のステージとして東南アジアにマーケットを求めた。たった一人で現地に通い、紹介から紹介を辿り人脈を拡げる日々だったという。

いつかは自分で会社を興したいという想いは、子供の頃からあった。それを実現するまでに、不動産業で14年の経験を積んだ。東京の一部上場企業で首都圏の新築分譲マンション営業に携わり、5年後に地元福岡で父が経営する大手不動産会社に呼ばれ、初めは営業から新築マンション事業全般、7年後にはグループ会社3社の代表取締役に就任。経営の立て直しに奮闘するも、銀行から債権放棄を受けた責任をとり辞任。2004年、ついに独立の念願が叶った。

同じ不動産業とはいえ、会社を移り、部署を移り、立場が変わるたび、まったく未経験の業務を請け負ってきたという。前職の経験を活かせないなかで道を切り拓いてきたことが、結果的に多くの知識、人脈、視野や柔軟性を培うことになったのだろう。加えて、名のある企業に在籍していた信用も手伝い、独立後は早速多くの依頼を受けることになる。福岡の高級住宅街の路地裏にひっそりと構える一人事務所が、日々世界各国を股にかけ数億円規模の取引をしていることを、近隣の住人は知る由もない。

山本浩之
ドローンを目に、ネットを脚に、日々躍進

「創健舎という社名は、『健やかな家を創りたい』という想いを素直に託し、敢えて『建』でなく『健』としました」と話す山本氏。大手企業であれば資金を投じて行う事業を、資金のない個人事業ゆえ企画開発をし、資金をもつ人や企業と繋がる必要があった。そこで、東南アジア市場に興味をもつ福岡のデベロッパーに代わり、個人ならではのフットワークの軽さで現地とのやりとりを肩代わりし、交渉をスムーズに進めた。日々の業務に追われるデベロッパーと現地のパイプを繋ぎ続け、独立1年で貯めた金額は1,000万円。

それを自己資金として、翌年には創健舎工房を株式会社に。その驚くべきスピード感について「本当にいろんな方に応援していただいていますから」と山本氏は謙遜する。しかし終始明るく穏やかでユーモア溢れる語り口に、愛される人柄が覗く。人を安心させすぐに打ち解けるこのコミュニケーション力で、言葉の通じない国々を渡り歩き、世界と繋がってきたことが明らかに見て取れる。

「コロナ禍でも、仕事は意外とできるもんだなという感じですね」。現在の状況を語る山本氏は実に軽やかだった。瞬間、何の影響もなく安泰なのかと驚いたが、実はそうではない。
「海外には全然行けていないし、今やっているプロジェクト自体が流れてしまったので、できることはテレビ会議になってしまいました」

「多大なる影響があったことは、世の多くの企業と変わらないですが、現地の様子はドローンで写真や動画を撮影し送ってくれますし、わざわざ行かなくても会えるので、今まで何だったんだと思うくらい、以前より密に話し合っています」
すでに次代への歩みが始まっていることを確信させる言葉である。

日々国内と海外を視野に入れたビジネスのなかで感じることは、日本と海外のスピード感の違いだという。億単位の金が動く交渉では、日本企業は社長さえ決定権をもたない場合が多く、役員会で稟議を通す必要があるため、返答に2カ月以上かかることもある。

「東南アジアには若い創業社長が多いんです。ですからすべての決定権は彼らにあり、通常複雑な交渉にも1週間程度で回答を出してきます」
そのようなタイムラグが仇となり、日本企業がチャンスを逃さないか不安になるという。

「お陰様で弊社とお付き合いいただいている企業様は、素早く対応していただいております。しかしながら、一般的には日本企業は決断が遅いと海外の企業からよく指摘されております。ですから大きくて動けない組織に代わり、自分がいつでも動いて繋ぎます。そのために一人でいるのですから」

日本企業も、山本氏に飛脚を任せ、決断スピードを見直し変革する時期なのかも知れない。

山本浩之

創健舎工房株式会社 代表取締役
https://www.so-ken-sha.net/
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。