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渡部功治
WATANABE KOJI

渡部功治

中央建設株式会社 代表取締役

時代の先を読み、不退転の覚悟で愛媛から東京進出を果たした経営者の立志伝
2008年に愛媛の小さな土建会社を引き継いだその人は、研ぎ澄まされた鋭い経営感覚で時代の先を読み、60有余年続いた会社をあらゆる意味でリセットした。4代目にして、創業者――。これからはじまる物語は、上述の強い意志をもって東京での事業展開を具現化した中央建設株式会社代表取締役 渡部功治氏の立志伝だ。
渡部功治
まかれたエサを奪い合う「金魚鉢」からの脱出

東京タワーに程近い港区芝に本社を構える中央建設株式会社は、建築・工事一式を発注者から直接請け負う総合建設業者、いわゆる「ゼネコン」だ。施工を担当した全天候型の60m陸上競技トラック「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」が日本建設業連合会の第59回BCS賞(2018年)を受賞するなど、高い技術力とノウハウをもつ会社として近年その評価を高めている。もともと愛媛を本拠としていた同社が東京の一ゼネコンとして現在のような輝かしい実績を積み重ねるまでになったのは、渡部氏の並々ならぬ強い意志と行動力、不屈の精神があったからにほかならない。

同社は1949年に愛媛県今治市で創業し、今年で70周年を迎える歴史のある企業だ。渡部氏が同社に入社したのは2005年のこと。当時は住民発議制度の創設や合併特例債に代表される財政支援策の実施など、国による市町村合併の促進がピークを迎えていた。いわゆる「平成の大合併」だ。今治市は周辺の11町村と合併し、四国地方では各県庁所在地に次ぐ5番目の規模の自治体となった。それはすなわち、これまではそれぞれの自治体にあった公共事業の発注窓口が一つになったことを意味する。さらに合併直後からは予算の削減も行われ、公共事業そのものが大幅に減少した。公共事業、なかでも土木工事を中心に請け負っていた同社にとっては非常に厳しい状況だった。渡部氏は入社後すぐさま事業の拡大に取り組んだ。

「それまでの土木工事一本の事業体制から港湾土木、建築にいたるまで、すべての公共事業を受注できるような体制を整えました。なんとか県内で生き残れるように、ありとあらゆる手を尽くしたのです」
その結果、それまで1億円にも達しなかった年間売上は、2年目で3億円、3年目で7億円と、右肩上がりで順調に推移。その功績もあって2008年、渡部氏は代表取締役に就任した。

しかし、経営者となって事業を俯瞰すると会社の課題が見えてきた。
「もともと道路や施設などは一度作ってしまえばそれで終わり。天候の影響も受けやすく、採算が取りにくかった」

また、限られた公共事業の発注を地元の土建会社で奪い合うことにも疑問があった。
「土地柄、地縁や血縁でのつながりが強く、そんなしがらみが強い地方の現実、まるで金魚鉢のなかでまかれたエサを奪い合う金魚のような閉塞感を感じていました」
このまま数年は会社を維持できても、国全体が人口減少傾向にあるなかで地方の過疎化がますます加速することは火を見るよりも明らか。事業の先細りを予見した渡部氏は「脱・土木、脱・公共事業」の目標を掲げ、東京への進出を決意する。その背中を押したのは家族の存在だった。

「私に長男が生まれたことがきっかけですね。この子が大人になって、この愛媛でどうやって生きていくのかと考えたが、何のビジョンも見えなかった。それは、会社にとっても同じことだと思い、このままでは先が見えない。東京へ出ることの怖さよりも、そこで一歩を踏み出さないことの方が怖かった。何のしがらみもない(ということは逆に言うと何の伝手もないということですが)、東京で生きていくために挑戦していくことを決めました」
リーマンショック後であっても、東京一極集中の状況は変わっていない。東京でゼネコンとして事業を確立する――。2010年、強い志を胸に、渡部氏は身一つ、不退転の覚悟で単身上京を果たした。

渡部功治
東京で仕事をするうえでの『命』をもらった偶然の出会い

信念をもち、何事にも屈しないという意味で使われる「不退転」とは、もともとは仏教の言葉で「何があっても、たとえ命が危険にさらされようとも全く揺るがない幸福」を表す。渡部氏の不退転の覚悟は正に、会社や従業員、家族の将来を見据え、皆にとっての幸福の境地を目指す「決死」の覚悟だった。
「東京に頼る人がいたわけでも、仕事の当てがあったわけでもなく、何をどう努力したらいいのか皆目見当もつかない状況でした。しかし、このまま公共事業を請け負うだけでは未来はない。もし東京で失敗したら生きては帰らない覚悟で、仕事を取るために歩き続けました。しかし、動けば動くほど壁が高くなるように感じ、想像を絶するような辛い日々が続きました」

地縁や血縁によるしがらみが少ない東京では実績こそが信頼であり、愛媛の小さな土建会社の社長がいきなり東京に出て来ても、話を聞いてくれるところなどなかったのだ。
「建築でもたとえば内装工事だけをやるというように事業を専門化すれば、もしかしたら仕事はあったかもしれません。しかし、東京に出たのはあくまでも『脱・土木、脱・公共事業』のためであり、建物全体の工事を請け負う『東京のゼネコン』として生まれ変わるためです」
そう考えた渡部氏は大手ゼネコンや建築会社、建設現場に足を運ぶなど日々精力的に動き続けたが、それでも最初の2年は実績を挙げることはできなかった。信頼を得るためにはしっかりとした事務所を構えることが必要と考え、2012年、港区新橋に東京支店を開設した。
転機となったのは、ある偶然の出会いだった。
「新橋で倒れているお年寄りの方がいて、その方を介抱していた方に手を貸そうと声をかけたんです。救急隊員にお年寄りの方を引き渡した後にその方とお話をするなかでご縁がつながり、ある大物俳優の自宅のリフォームを任せて頂けることになったのです」
誠心誠意を込めて取り組んだ結果、それが一つの実績となり、そこから徐々に低層マンションの建設や店舗の改修工事などの受注を取れるようになっていった。
「どこの馬の骨ともわからない人間を信じて任せて頂いたことは、東京で仕事をするうえでの『命』をいただいたと思っています」

渡部氏の一歩を踏み出す決断と勇気、実行力、そして決して諦めない強い心――そうした一つひとつの努力のすべてが実を結び、東京での活路を見出した。中央建設はその確かな技術と丁寧な施工によって少しずつ信頼を獲得していき、大手ゼネコン経験者などさらに優秀な人材が集まるようになった。その最たる成果が冒頭に述べた「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」であることは言うまでもない。

渡部氏の社長就任から約10年。2018年7月、同社は本社登記を東京に移し、東京本社、四国支店、東北支店の3拠点を中心に全国展開するまでに成長を遂げた。「お客様ファーストを貫き、お客様に安心して任せて頂き満足して頂けることを第一と考え、また、常に先を見据えて、優秀な人材確保、技術力の向上、そしてブランド力を高めながら、継続的な経営力の強化を図っていきます。目指すのは社員数180~200人のゼネコン。『いいゼネコンで建てたね』『中央建設に入りたい』と言っていただけるような会社にしたい」と語る渡部氏の目は強い。

「最初は本当に何もなかった。何をどう努力したらいいのかさえわからなかった。あのときの苦しみを思えば、今はお客様も社員もいて、努力できるステージがたくさんあることが幸せ。物事は自分で不可能だと思ったら、その時点で先はない。お客様に必要とされる会社であり続けるために一つひとつの課題をクリアして会社をより強固なものにしながら、それをどう次世代に引き継ぐのかを考えながら日々邁進しています」

かつて愛媛の一土建会社に過ぎなかった中央建設は、時代の先を読む渡部氏の明確なビジョンと強い意志を原動力に、東京の新興ゼネコンに生まれ変わった。同社が掲げるキャッチフレーズ「テーマは人 そして全ては未来へ」の言葉の通り、渡部氏の、そして同社の物語は、東日本大震災からの復興と都市再開発、インフラの老朽化対策など、全国的に建設ラッシュが続き活況を呈する建設業界をステージに、顧客と共に未来へと続いていく――。

渡部功治

中央建設株式会社 代表取締役
http://www.chuokensetsu.com/
※ 本サイトに掲載している情報は取材時点のものです。